「文藝春秋」の創業者VS「婦人公論」編集長!? カフェ店員への「ガチ恋」から始まった暴行事件(昭和のスキャンダル)
ベストセラー作家であり、文藝春秋の創業者でもある菊池寛。当時、菊池の指示のもと「文藝春秋」では作家たちの私生活について書き立てていたが、菊池自身のプライバシーは守られていた。ところが、あるとき中央公論社の「婦人公論」が、菊池がカフェ女給を口説き玉砕する様子を小説で発表。激怒した菊池は、「婦人公論」の編集長を暴行するが、問題の小説はどのような内容だったのだろうか? ■フラれる様子を小説にされ… 文藝春秋社の創業者にして、自身も『真珠夫人』などの大ベストセラー作家。「文豪」・菊池寛はお金の悩みからは解き放たれていました。しかし、彼は若く美しい女性が大好きな一方で、小太りの自分に自信がもてずにいたようです。 そんな菊池が、昭和初期の銀座のカフェの新人女給に「ガチ恋」をして、口説きとチップの猛攻撃を仕掛け、お布団の敷かれた一室に彼女を誘って玉砕する内容などが描かれた広津和郎のモデル小説『女給』が、中央公論社の「婦人公論」誌上で連載されはじめました。 当時の(ある種の)カフェは、単にコーヒーや酒、軽食を楽しめる場所というより、美人の女給さん目当ての男性客が押し寄せる、夜のお店のような存在だったのです。人気女給になるには、一般的なカフェの店員に期待される職分を超え、酔客のセクハラ、パワハラを受け流すだけの器量が必要でした。 しかし、広津和郎の『女給』という小説は、菊池から執着された女給をモデルにした小夜子という登場人物の口を借り、気恥ずかしい菊池の口説き文句を世間に暴露してしまったのです! ■高額すぎるキス!? ベストセラー作家の醜態 菊池をモデルとしたベストセラー作家の吉水薫はカフェのマダムから小夜子を紹介された瞬間、一目で彼女を気に入り、チップ攻撃を始めます。「さあ、君握手しよう」といって、相手の手を触った時、自分の手のひらに忍ばせていた10円札を丸めたものを握らせるのです。当時の1万円は現在なら最低でも10万~20万円ほどにも相当しますから、かなり気前がいいですね。 吉水は小夜子目当てに店に通い詰め、ある程度の信頼を得ると、彼女に「横浜でデートしよう」ともちかけながら、時間がなくなったといって、東京の品川・大森海岸の待合(現代風にいえば、食事のできるラブホテル的な存在)に高級車で連れていき、料理もそこそこに、お布団が敷いてある隣室に小夜子を誘い込もうとします。 横浜は嘘で、最初からソレが目的だったのでしょうが、気恥ずかしいのか、「一寸隣の部屋に行こうよ」。断られても「そんな事云わないで、一寸でいいから行こうよ」と繰り返すだけ。「文壇の大御所」にしてはボキャブラリーが貧弱です。しかも、冷めきった空気の中、もう帰ろうとなった瞬間、吉水は小夜子に不意打ちのキスをするのでした。 それは呼吸もできないほど長いキスで、小夜子から「苦しい」と咎められた吉水は「君を好きなんだよ」と弁解。別れ際には小夜子に10円札を丸めたものを4つも渡したそうです。現在でいうとかなり高額なキス……。 ■コンプレックスを一度に刺激され激怒 吉水は今で言う「太客」でしたが、それだけでなく、身体が太すぎて普通に歩けないとも書かれており、自身のコンプレックスのすべてを一度に刺激された菊池寛は激怒してしまいます。 連載開始を告げる新聞広告で「太って実業家のような文壇の大御所」に拉致される女給・小夜子の運命やいかに! などという煽り文句を見て、悪い予感がしていたのでしょうが、「婦人公論」の発売日の翌日にあたる昭和5年(1930年)7月17日、菊池は早くも中央公論社の嶋中社長(当時)に宛てて抗議文と、小夜子のモデルだった女給と自分との本当の関係について語った短文を送り付けたのです。 しかもその後、この短文の掲載方法を巡って、菊池と、「婦人公論」の福山秀賢編集主任(編集長)の間に暴力事件とが勃発します。なんと、菊池が福山編集長の顔面を殴ってしまったのです。結果、福山が暴行で菊池を告訴、一方で菊池は名誉毀損を訴えるという大変な訴訟トラブルに発展してしまいました。 画像出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)
堀江宏樹