『どうする家康』松本潤を支えてきた者たちとの涙の別れ “徳川家臣団”の死を振り返る
NHK大河ドラマ『どうする家康』も、いよいよ最終回である。感無量だ。 思えば第1回において、手製の人形を持ち「ブ~ン、待て待て~♪」とか言ってひとりで走り回る少年時代の徳川家康(松本潤)を観た時には、この上ない不安を覚えた。この、顔だけはやたら美しいがいろいろと心配になる少年が、1年に渡って主役を張り、ゆくゆくは徳川幕府を開くことができるのか。 【写真】“徳川家臣団”が杯を交わす様子 あれから1年が経ち、「弱虫泣き虫鼻水たれ」の少年は、あの織田信長(岡田准一)、豊臣秀吉(ムロツヨシ)をも凌ぐ「戦国の世が生み出した最大の怪物」へと変貌を遂げていた。 もちろん、家康ひとりの力ではない。最初から完成していた信長や、パシリを装いながらも本性が漏れ出していた秀吉と違い、初期の家康は本当にヘタレだった。 だが家康には、信長にも秀吉にもいない、強い強い味方がいた。 それが、“徳川家臣団”である。時に励まし、時に主君相手とは思えないほどに叱り飛ばす彼らがいたからこそ、家康は成長することができた。 ただ、暇さえあれば薬を煎じているような、恐らく“日本最初の健康オタク”であった家康は、なかなかの長寿である。従って、苦楽を共にした家臣団が、どんどん先に死んでいく。辛く悲しい彼らの死を乗り越えて、家康は“神の君”となったのだ。 物語序盤は、必要以上に口角を下げて説教をする石川数正(松重豊)や、何事もえびすくいで万事解決! と思っている酒井忠次(大森南朋)や、まったく何を言ってるのかわからないようでいてギリギリで聞き取れる鳥居忠吉(イッセー尾形)の力量や、色男ぶりが麗しい大久保忠世(小手伸也)ら、アクの強い家臣団のワチャワチャぶりが楽しかった。彼らに気弱に翻弄される家康の姿も、毎回楽しみだった。超美形男子が慌てふためくさまというのは、いつ見てもいいものだ。 「家臣団および妻・瀬名(有村架純)とのホームコメディを1年間繰り広げ、気がついたら徳川幕府が完成していた」ということでいいじゃないかと思っていたが、もちろんそんな話で1年ひっぱるわけはなかった。 まず三方ヶ原の戦いにおいて、家臣団の一角が崩れる。本多忠真(波岡一喜)と夏目広次(甲本雅裕)だ。 常に泥酔しており、シラフでの登場は一度もなかったと思われる忠真。甥の本多平八郎忠勝(山田裕貴)が地団駄を踏みながら諫めても、酒を止めなかった忠真。 だが最期は平八郎に未来を託し、屈強な武田勢にひとりで立ち向かう。 「オメーの夢は殿を守って死ぬことじゃろうが! 殿を守れ! オメーの大好きな殿を!」 そう言って平八郎をハグした後、忠真は笑う。本当に本当にいい顔で笑う。 波岡一喜と言えば、筆者的にはヤンキー映画の下っ端のイメージが強かった(『パッチギ!』や『クローズZERO』シリーズなど)。その波岡一喜が2021年の『青天を衝け』での川村恵十郎役に続き、大河ドラマでこんなにいい役を演じていることに、胸がいっぱいになった。 「ここから先は一歩も通さん!」の仁王立ちも、初披露している。その後の小牧・長久手の戦いでの平八郎、関ヶ原前夜の稲(鳴海唯)と、この仁王立ちは本多家のお家芸となり、その度に忠真を思い出しては感傷的になるのだ。 そして夏目広次。毎回家康に名前を間違えられ続けた男。今だから白状するが、「この毎回名前間違えるギャグ、いる?」と思っていた。演者の甲本雅裕があっさりした顔してるからって、「存在感が薄い」という点だけが彼のキャラ付けだとしたら、そもそも夏目広次自体、出さなくても良かったんじゃないか? 「徳川十六神将」にも入ってないし! だが脚本の古沢良太は、筆者の浅い浅い考えを、綺麗にひっくり返してくれた。 まさか家康は、夏目広次の元の名前である「夏目吉信」が焼き付き過ぎていて、今の名前を思い出せなかったとは。存在感が薄いどころか、幼き頃の家康のいちばんの理解者が、広次だったとは。広次自身、改名して生まれ変わったつもりでいたので(髭も剃った)、家康も思い出せなかったのだろう。 その広次が家康の具足を身につけ、家康の身代わりとしての戦死を選ぶ。殿である自分のために、家臣が喜んで死ぬ。武家社会なら常識の概念なのだろうが、まだ若く甘い家康には、飲み込めない。 この夏目広次の死は、家康が天下人となるための、最初の成長を促すこととなる。 その後は、妻・瀬名、息子・信康(細田佳央太)、信長、秀吉と、大物がどんどん退場していくが、主だった家臣団は死ぬことなく、みな年老いていく。 隠居していた酒井忠次も、訪れた家康たちの前で、“最後のえびすくい”を踊る。もちろん、妻の登与(猫背椿)も一緒だ。第1話でも、まだ若かった忠次と登与が共にえびすくいを踊る。当然その頃は、いきいきとしてキレがあった。パッションがあった。だが最後のえびすくいは、動きも小さく落ち着いており、伝統芸能のようになっていた。昔はあんなにノリノリだった登与も、もはや手拍子を打つだけである。 この夫婦がとにかくかわいくて、このドラマでのいちばんの“癒し”だった。死を覚悟した戦に出かける際、虫を取ってやるふりをして忠次が登与を抱きしめるシーンは、このドラマにおける名シーンのひとつだ(ちなみに死なない)。 ある雪の日に、忠次は突然具足を身につけだす。殿からの陣触れがかかったと言って。当然そんなわけはないのだが、「はいはい」と手伝う登与が良妻過ぎる。そのさなかにこと切れた忠次に、「ご苦労様でございました」と座礼をする登与。絵のように、美しいシーンだった。 忠次は、家康に天下取りを託して死んでいく。 関ヶ原の戦いが、始まろうとしている。 家康は越後の上杉勢を攻める際の伏見城の護りを、鳥居元忠(音尾琢真)に託す。石田三成(中村七之助)が挙兵した場合、真っ先に攻め込まれるのは、この手薄になった伏見城だ。少ない兵で石田勢を食い止め、奮戦し、最後には九割九分討ち死にする。そんな役目を家康は、幼なじみである元忠に託した。 家康は、夏目広次の時には、家臣が自分のために死ぬことをあんなに拒んだ。だが時が経ち、家康は、家臣に自分のために死ぬことを命ずるようになる。それは、“将”としては成長と言えるのだろう。だが……。 思い出すのは、石川数正の出奔前の言葉である。 「あの弱く優しかった殿が、かほどに強く、勇ましくなられるとは。さぞやお苦しいことでございましょう」 家康の成長に伴う苦しみを、理解してくれる家臣も、次々といなくなっていく。 いよいよ関ヶ原の戦いが始まった。井伊直政(板垣李光人)が家康に語りかける。 「殿、オイラを家臣にして良かったでしょ」 直政の一人称が、「オイラ」に戻っている。かつて家康の命を狙った、少年の頃のように。これは一見「死亡フラグ」のようだが、「フラグを立てておいて死なない」という、酒井忠次の例もある。さすがに家臣団最年少の直政が、死ぬことはないだろう。 そう。死ぬ必要はなかったのだ。戦いには勝ったのだから。 直政は、正面突破で逃げようとした島津勢を、(ほっとけばいいのに)迎え撃つ。そして、銃撃を受ける。 家康自らの手当を受けながら、直政は涙を流す。 「ついに、ついに、やりましたな! 天下を取りましたな! これからが楽しみだ!」 だが直政は、「これから」を見ることはできなかった。 直政が撃たれたのは腕である。だが医療が未発達なこの時代、「銃弾が体内に入る」ということ自体が、致命傷なのである。 直政は関ヶ原の戦いから1年半後、敗血症で死ぬ。 やがて、あの若くて血の気の多かった本多平八郎忠勝と榊原小平太康政(杉野遥亮)にも、死期が訪れる。 「主君を守って死ぬこと」が夢であったはずの平八郎だったが、結局かすり傷一つ負うことなく(自称)、老いさらばえてしまった。戦死できた井伊直政を、羨ましくさえ思う。 少年の頃、「押しかけ弟子」のような形で徳川勢に潜り込んだ小平太は、同い年の平八郎に武術を教わったのだと思われる。 槍を取ったふたりは、あの頃のように立ち会う。恐らく、生涯最後の立ち合いを行う。 「やるではないか、大樹寺の小僧」 「お前もな、礼儀知らずのあほたわけ」 少年漫画のようなベタなやり取りが、このふたりには似合う。最良の友を得て、最愛の主君のために戦い尽くせたふたりは、幸せな人生だったのだと思う。 家康最後の戦い、大坂の陣にも、いよいよ決着がつく時が来た。生き残った家臣団初期メンバーは、もはや本多正信(松山ケンイチ)と渡辺守綱(木村昴)だけである。クセが強い。よりによってふたりとも、一向一揆の時に裏切った面々だ。そんなふたりを許し、重用し続けた家康だからこそ、強固な家臣団を作り上げたのだと言える。正信曰く、「人を恨み続けることが苦手」な家康だからこそ、家臣団は皆、ついてきたのだろう。 12月10日放送回の次回予告では、若き日の家康が、同じく若き日の家臣団に囲まれて、泣き笑いしている画が流れた。前もって言っておくが、筆者は脱水症状になるぐらい泣くと思う。 号泣する準備は、すでにできている。
ハシマトシヒロ