錦織圭がグランドスラム挑戦原点である10年目のウインブルドンで目指すもの
聖地──今年で150年を迎える英国のテニスクラブを、多くの人々はそのように表現する。 正式名称は、オールイングランド・ローンテニス&クローケー・クラブ。創設日は1868年7月23日と定められており、同会場のミュージアムには、当時の誓約書も展示されている。日本で言えば、明治の始まりの年から連綿と継承される歴史と伝統が、威厳と正統性を醸成する大会──。それが日本時間2日に開幕したウィンブルドン選手権である。 錦織圭にとってもウィンブルドンは、今に連なるキャリアの一つのスタート地点だ。10年前の2008年、当時18歳だった錦織が初めて本戦出場を果たしたグランドスラムこそが、ウィンブルドンであった。ただしその始まりは、後のこの地での戦いを暗示するかのような、苦い記憶が絡まるものでもある。初戦で第1セットを奪うも、痛めていた腹筋の痛みが耐え難いものとなり、第2セット終了時に無念の棄権を申し出た。以降、彼はウィンブルドンで2度の棄権を経験し、最高戦績はグランドスラムの中で最も低い4回戦。今大会前に口にした「いつも芝では(身体に)ダメージを受けるので、不安はちょっとあります」「自分のなかで、確実にポイントを取れるパターンが芝ではまだ確立していない」の言葉にも、拭いきれぬ苦手意識が滲んでいた。 ただ実は錦織は、かつてこの芝のコートで、キャリアにおけるターニングポイントを迎えたこともある。それが、ウィンブルドン選手権と同会場で開催された2012年のロンドンオリンピック。この当時、ボールを捕らえる感覚に苦しみ「キャリアで初めてかも」という程のスランプに陥っていた彼は、球筋の速い芝のコートで気持ちよくウイナーを奪うことで、攻撃のリズムやテニスの楽しみを思い出せたという。同年10月のジャパンオープンで手にした優勝の起点には、聖地で取り戻した「自分らしい攻めのテニス」があった。 昨年8月以降手首のケガのため長期離脱し、今回のウィンブルドンが復帰後2大会目のグランドスラムとなる錦織にとり、初戦で対戦する相手もどこか、運命の符合を感じさせる選手である。 現在24歳のクリスチャン・ハリソンは、兄のライアンと共に期待を集めたかつての“若手のホープ”。錦織とは同じIMGアカデミーを拠点とし、少年時代から幾度も共に練習してきた間柄だ。