俳優・弓削智久【2】初めて脚本を書いた映画の現場ではスタッフ兼任!“燃え尽き症候群”に
2002年に「仮面ライダー龍騎」(テレビ朝日系)の由良吾郎役で注目を集めて以降、シリーズ3作品に出演し、“最も多く仮面ライダーに出演した俳優”と称されている弓削智久さん。2007年、W主演をつとめた映画「サクゴエ」(本田隆一監督)で脚本家デビューを果たし、2009年には短編映画「FREE」で初監督もつとめた。
■事務所社長に「書いてみなさいよ」と言われ脚本家デビューに
2007年、中村靖日さんとW主演をつとめた映画「サクゴエ」が公開された。この作品は、騙されてヤクザに追われるハメになり、自殺しようとビルの屋上に行った男・森田(中村靖日)が、そこでトミーと名乗る不思議な青年(弓削智久)と出会い変わっていく様を描いたもの。弓削さんは、親友のヤクザの裏切りにより、2年間ビルの屋上で逃亡生活を送っているヤクザ・トミーを演じた。 ――この映画で脚本家デビューもされましたが、脚本はいつ頃から書こうと思っていたのですか 「初脚本というか、あれだけしか書いてないので。朗読劇とか、世に出してないものは色々あるんですけど」 ――「サクゴエ」の脚本を書くことになったのは? 「(事務所の)社長に『俺が書いた方が面白いよ』みたいなことを言ったら、『じゃあ書いてみなさいよ』って言われて書いたのが『サクゴエ』だったんです」 ――勢いで書いたという感じですか 「そんな感じですね。当時僕が住んでいたマンションの屋上が共有スペースになっていて、木刀を振ったり、日焼けしたり、台本を読んだりする場所だったんです。居住者に勝手にどうぞという感じだったので、よく使わせてもらっていて。その屋上からいつも富士山が見えていたんです。それで、その富士山の場所が、ある日変わっていたらどうなのかなって思って。 車で中央道を山中湖に向かっていて走っていると、右にあった富士山が左に見えるようになるじゃないですか。もちろんそれは自分の場所が動いているから変わって当然なんですけどね。 それこそ大学生の時に、『授業終わりで山中湖に行こうぜ』って友だちと行った時に夜だったんですけど富士山が見えていて、月明かりで右にあった富士山が左にある、富士山が動いたみたいな感じがして。 そのエピソードをちょっと繋ぎ合わせて、そこ(屋上)に住み着いちゃっている自分と、そこに飛び降り自殺に来た人間のお話を最初はショートフィルム用に書いていたんです。そういうのがきっかけでしたね」 ――実体験が結構活かされていたのですね。2年間屋上で隠れて暮らしていて、ようやく身の潔白が証明されたのに…皮肉な展開でしたね 「そうですね。やっぱり人生ってそうそううまくはいかないものじゃないですか。なので、ああいう形にしました」 ――ご自身で脚本を書いた作品に主演するというのは、どんな感じでした? 「ちょっと嫌でしたね。ナルシストみたいで(笑)。当時は、脚本だけ提供できればいいなっていう風に思っていたんですけど、監督が是非ということだったので出ることになりました。あの時期は本当に書くのが面白かったので、いくらでも書ける感じがありましたね」 ――トミー役、合っていましたね 「やっぱり自分で書いていますからね。自分のやりたい役をやるために。『仮面ライダー龍騎』以降、悪役が増えすぎちゃって(笑)。犯人だ、殺人犯だ、少女の白杖を思いっきり蹴る奴だったり…とにかく人でなしの役がすげえ来るみたいな時期があって。親に『私はあんたをそんな風に育ててないのになあ』って言われたりしましたからね(笑)。 『来た仕事をやっているだけなんだよ』とか言いながらも、やっぱりストレスを感じていたみたいで。『じゃあ、今一番やりたい役ってなんだろう?』って思って書いたのが『サクゴエ』だったのかもしれないです。 ああいうちょっとつまらないことを言いながらも、別に怒鳴るわけでもなくナチュラルにしゃべって日々を過ごして…というのを1回やってみたかったんですよ。それって役との巡り合わせがないとできないじゃないですか。 僕みたいにゲスト出演が多いと、一発勝負。出来上がった空気の中に何か雷のように入って行って、ワーッて暴れて荒らすだけ荒らして、どれだけ暴れられるかみたいな勝負になっていたので。 だから、バックボーンがある悪役とかは大好きなんですよ。それがなくて、ただ叫んでいるとか、弱者みたいな悪役は演じるのが難しいって思うんです。殺人犯や泥棒だって、飯を食ったり、家族と会ったり…そこまで描いてくれれば、何かすごくいいじゃないですか」 ――トミーはいい役でしたよね。親友のためにヤクザになったけど理性もあって。その親友に罪を被せられて逃亡することに。中村靖日さんとのコンビも良かったです。中村さんは今年7月10日に急性心不全で亡くなられて本当に残念です 「ショックです。まだ51歳でしたし、あまりに急だったので…。すごく残念ですが、僕の脚本の映画でご一緒できたことは、本当に光栄です」