「宝塚って最高の場所」 卒業から10年…今も大切にする先輩からの言葉「つねに最後の気持ちで」
ただ踊りたいから始まった芸能人生「目の前のことを一生懸命やってきました」
全ての原点は幼少期に習っていたバレエ。踊りが好きという思いで打ち込んでいった。その後、海外留学を考える中、家族から「踊れる劇団があるからそこに行きなさい」と提案され、受験したのが宝塚音楽学校だった。「ただ踊りたいから始まった宝塚だったので、芸能界に行きたい、女優さんになりたいなんてこれっぽっちも考えていませんでした」。 いざ入学すると、踊りのみならず、歌や芝居の研鑽を重ねる日々だった。「歌も芝居もやらなきゃいけないとなった時は、ハラハラドキドキでしたが、結局は全て心の表現なんだというところに行き着きました」。 以来17年間の宝塚生活。名だたる先輩たちの姿を見る中で、「ああいう風になりたい」「次はこんな風になりたい」と一つずつ目標をクリアしていった先にトップスターの席が待っていた。トップを6年務めた後、卒業という選択をしたが、この決断の背景には宝塚ならではの考え方があった。 「宝塚って一生居たいぐらい最高の場所なんです。でもトップになったらみんな、やめ時を意識して、お披露目公演の時には『いつ辞める』とほとんどの人が決めています。それまでは、そんなこと考えずに楽しくやっていたのですが、トップになったら『あと何作かな』と考え出すんですよね。私は、宝塚95周年でトップになって、『100周年までは頑張ろうね』と劇団に言ってもらえたので、そこを目標に頑張りました。お祝いの年にやめて水を差したくはなかったので、101周年でやめると決めていました」 宝塚卒業のその日までは、その後の進路のことは考えず、「やりきることだけ」を考えて突き進んだ。「宝塚の人たちは、宝塚での活動に人生の全てを懸けているので、その後の人生を考えずに燃え尽きるまで情熱を注いでいると思います」。それは柚希も同様だった。卒業当初は自分がこれから何をやりたいのかすら「よく分からなかった」と笑う。 「肩書に『女優』と書かれるのが恥ずかしくて、アーティストにしてもらいました。コンサートなどで自分を表現することが好きだったので、そういった活動をするんだと思っていたところ、ミュージカルのお話をいただいて、女の人の役を演じてみたり……。目の前のことを必死にやっていたら、それが次につながっての繰り返しでここまできました。目標は立てず、目の前のことを一生懸命やってきました」