イスラエルのガザ攻撃、国際裁判所でもなぜ止められない?ICCの逮捕状請求とICJの攻撃停止命令はどこまで有効か
■ ICCとICJ、2つの国際裁判所の役割の違いは? ICCとICJはともに国際裁判所ですが、その役割は異なっています。ICCが扱うのは個人の犯罪です。 ICC設立の基礎となったローマ規程(1998年)には「国際的な犯罪について責任を有する者に対して刑事裁判権を行使することが全ての国家の責務」と記されています。2023年3月には、ウクライナの子どもたちを連れ去ったことが戦争犯罪に当たるとしてロシアのプーチン大統領らに逮捕状を出しています。 これに対しICJは国と国との紛争解決を目指します。裁判所の管轄などを定めた国際司法裁判所規程(1945年)は「国のみが事件の当事者となることができる」としており、個人や企業、非政府機関などの出訴権は認められていません。国連憲章に定められた機関であり、すべての国連加盟国が当事国となり得ます。 こうした国際裁判所は何のためにあるのでしょう。それは、外交的手段で解決しない紛争が生じたときに、戦争という手段に訴えるのを避けるため、第三者の裁定に解決を委ねるという仕組みです。そこには長い歴史があります。 18世紀から19世紀にかけて、国家間の紛争を処理する方法としてとられたのは「仲裁裁判」でした。紛争当事国どうしの合意に基づいて仲裁者を決め、特定の問題についてのみ判断するものです。 日本が当事者となった最初の仲裁裁判は1872年の「マリア・ルス号事件」です。横浜に入港したペルー籍の船から逃げ出した中国人労働者の身柄引き渡しを巡って、ペルーと争った裁判。仲裁裁判官はロシア皇帝が務め、日本が勝訴しました。
■ 国際裁判所に深く関わる日本 20世紀に入り、第1次世界大戦後の国際連盟発足に伴って、「常設国際司法裁判所」が設立されます。多くの犠牲者と多大な破壊を招いた大戦の惨禍を教訓に、紛争が起きてから裁判の形を整えるのではなく、裁判所をオランダのハーグに設置して、裁判官もあらかじめ決めておくというものでした。 このかたちをほぼ引き継いだのが、第2次世界大戦後に国連にできた現在のICJです。国連憲章94条は加盟国に対し、自国が当事者となった事件についてICJの裁判に従うことを義務付けています。 ただ、世界の紛争は冷戦終結後の1990年ごろから様変わりしました。それまでは国際法違反に対して国家の責任を問えば済んでいました。しかし旧ユーゴスラビア内戦などでは国家が統治能力を失って無政府状態に陥るなかで、人道に対する犯罪が発生したのです。 国際人道法に反するような重大な違反を行った個人の責任を問うべきだという機運が高まり、国内裁判所を補完する形で設立されたのがICCです。設立に向けて議論を重ねたのは国連でしたが、ICCは国連の一部ではなく、独立した機関です。 それまで個人の戦争犯罪を裁いた例としては、第2次世界大戦の戦犯を裁くドイツのニュルンベルク裁判や東京裁判、1990年代の旧ユーゴやルワンダの内戦に関する国際戦犯法廷があります。これらはいずれも特定の事例に対する臨時的な法廷で、常設のICCとは区別されます。 こうした国際裁判所に日本は深く関わってきました。外交官で国際法学者の安達峰一郎氏(1869~1934年)はICJの前身である常設国際司法裁判所の発足から関わり、後に所長も務めました。日本はこれまでICJに4人、ICCに3人の裁判官を輩出しています。日本は現在ICCで最大の分担金拠出国で、現在の所長は日本で長く検事を務めた赤根智子氏です。