戦場カメラマン久保田弘信が子どもの笑顔を撮る理由
カメラマンの久保田弘信は、過去10年以上にわたって、戦禍や貧困のなかにいる子どもたちの姿を撮り続けてきた。久保田がカメラに収める子どもたちの笑顔にはてらいがない。ほんのわずかな時間に思いっきり表現される笑顔の瞬間を捉えている。「日本の同じ年齢の子どもはあんな一瞬の花火のような笑顔を出さないように思います」と久保田は話す。
久保田が撮り貯めた子どもの写真の数は1000枚に届く。子どもと相対している時は、どう撮るかを考えるより、目の前の子供の気持ちに近づきたいと考える。「僕たちカメラマンは現地にお邪魔している立場だと思っています。得にイスラム圏では写真は苦手な人が多いですし。カメラを向けることによって現地の人、子どもに嫌な思いをさせてはいけません。まずは僕を知ってもらい、僕を受け入れてもらいたいと思います」。 スラムに暮らす子ども、難民キャンプにたどり着いた子ども、戦争が終わってようやく外に出られるようになった子ども……。置かれている状況はさまざまだが、写真の一枚一枚を見ると、子どもたちは久保田に対して心を開いていることが、そのくったくのない笑顔から見て取れる。 しかし、意外なことに、子どもの笑顔を被写体として強く意識したことはないという。どういうことなのだろうか? 日本のメディアは海外のメディアと比べて、海外報道をほとんど流さない。特に発展途上国の情報については皆無と言ってもいい。だから、「日本で伝えられない外国の姿を、自分が見たとおりに人に伝えることが第一で、子どもの写真は発展途上国の姿を日本に伝える一つの表現」というわけだ。 「大人は表情のコントロールができますが、子どもはそうしません。喜怒哀楽を素直に出す子どもを被写体にすることで、子どもの表情からその国の実情が伝わるのだと思っています」。気づいたら自然と子どもにカメラを向けていた。ある種のジャーナリストの直感のようなものだろう。