愛でるだけでは物足りない ──「初もの」を珍重する日本人の粋な時間とは
新たな時間が始まる「新年」
日本人の「初もの」好きは、生活全般に及ぶ。「善い悪い」以前に「初めてか否か」を問題にする。新年を「清め」「仕切り直し」で、新たな時間が始まると考える日本人の感性は、新年をひとつの「通過点」とする欧米人には考えられない重い意味の儀式となって展開する。初夢、書き初め、姫始め、初釜はそれぞれの新たなスタートとしてよく知られているが、江戸時代の仕事始めは、祝い事にとどまらず、それぞれの業種で「一年の繁盛と安全」を祈願した。 「正月に初めて琴、三味線、胡弓、琵琶などの弦楽器を弾く弾き初め。2日に吉原で弾き初めがあり、この調べを聞くために通った客もあったという」「書き初め。若水で墨をすり、めでたい詩歌・文字などを書いた」「武家では馬乗り初め。商家では初荷、初売りの賑わい。職人は細工初めと、2日はよろず物はじめにあたる」「町火消しの出初めも2日。江戸八百八町いろは四八組と深川一六組が、真新しい火消し道具を手に、合図の半鐘で一斉に飛び出した」(佐藤要人・藤原千恵子編 前掲書)。 江戸っ子の正月には、初子(ね)の大黒天詣で、初寅の毘沙門天詣で、初卯の妙義詣でなどの縁日、商家での蔵開き(大晦日に閉じた蔵を正月11日もしくは吉日を選んで開き、新年から使う帳簿を綴じる帳綴の祝い)、茶席の初釜などがあり、「身を清めて新しいことに臨むのは、善いこと」を期待する。その儀式、風習は、規模を縮小して現代に引き継がれていることをみても、日本人の「初もの」珍重の気質は変わっていない。
さらに、日本人の「初もの」は年間を通じて行われる。同じ春でも、「新春」や「初春」には新鮮で善いイメージがあり、初午(うま)(2月最初の午の日)には、稲荷の縁日が余寒と不景気を吹き飛ばし、春を呼ぶ祭りとして盛大に行われる。また、「うら道を来て鶯の初音かな」(蕪村)とあるように、鳥の鶯の「初音」も立春より15、16日頃に期待されている。夏は、初泳ぎ、初登山、秋には収穫の「初もの」ラッシュとなり、初冬は、初雪が冬の到来を告げる。正に「初もの」づくしの日本である。 したがって、日本人には、同じ家を500年使うような価値観はなかなか根付かない。新しく建てたときが最高で、古くなったら建て替える。空間と時間を新しくすることが「粋で最高の贅沢」という考えが浸透しており、永代にわたって長持ちするような素材と加工方法で家を建て、メンテナンスしながら大切に使うことで自分の味を出し、家としての完成度を高めていくような、そんな家との付き合い方は考えられないのである。 一方で、昨今の世界では、エコの考えが重要視されており、「本物を大切に使う」時代になった。日本人の「初もの」を愛でる意識に変化はないだろうが、珍重までする価値観は、変わっていくことだろう。 ---------- 織田一朗(時の研究家)山口大学時間学研究所客員教授 1947年生まれ。71年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。(株)服部時計店(現セイコー)入社。国内時計営業、名古屋営業所、宣伝、広報、総務、秘書室勤務を経て、97年独立。以後、執筆、テレビ・ラジオ出演、講演などで活動。日本時間学会理事(2009年6月~)、山口大学時間学研究所客員教授(2012年4月~) 著作:『時計の科学―人と時間の5000年の歴史』(講談社ブルーバックス)『「世界最速の男」をとらえろ!』(草思社)『時と時計の雑学事典』(ワールドフォトプレス)『あなたの人生の残り時間は?』(草思社)『「時」の国際バトル』(文春新書)『知ってトクする時と時計の最新常識100』(集英社)『時計と人間―そのウォンツと技術―』(裳華房)『時と時計の百科事典』(グリーンアロー出版社)『時計にはなぜ誤差が出てくるのか』(中央書院)『歴史の陰に時計あり!!』(グリーンアロー出版社)『日本人はいつから〈せっかち〉になったか』(PHP新書)『時計の針はなぜ右回りなのか』(草思社)『クオーツが変えた“時”の世界』(日本工業新聞社)など多数。