“芸能界のドン”田邊昭知氏が会長に転身 過去に数々の女優と浮名を流した「人心掌握術」とは
剛腕ぶりを発揮
滅多に取材を受けない田邊氏が、当時を振り返った貴重なインタビューがある。「日刊スポーツ」の連載〈芸能界を動かすトップたち〉(92年3月18日)には、こんな記述が見られる。 〈スパイダクションの社員に対してはスパルタ教育でしごき、「ヒトラー以上の独裁者」とメンバーに評されていた〉 と前置きがあり、続けて、田邊氏本人がこう話す。 〈かなりヤンチャだったし、乱暴だったと思う。そうしないと、まとめること、統率することはできない。乱暴といっても暴力を振るったわけじゃなくて、乱暴な発想もするということ。クリエーティブな仕事には乱暴な発想が必要なんです。想像、空想、推理から入っていく。独断と偏見で推し進める。(それでも皆がついてきたのは)人望とかじゃなくて、僕より皆の方が人物だったんですよ〉 70年に芸能活動から引退した田邊氏は、3年後に現在の田辺エージェンシーを設立して芸能事務所の経営に徹する。ナベプロやホリプロなどが権勢をふるう昭和の芸能界にあって、彼は剛腕ぶりを発揮して研ナオコやタモリといった個性派たちを、一躍スターダムに押し上げたのだ。
数々の女優と浮名を
スターを経て裏方に回ってもなおさんぜんと輝き続ける男に、名だたる女優たちも引き寄せられていく。往時、芸能ニュースを盛んに扱っていた「週刊平凡」や「週刊明星」のページをめくれば、田邊氏が篠ひろ子(75)や加賀まりこ(80)といった女優と浮名を流した記事が散見されるのである。 前出の芸能プロ関係者に言わせれば、 「酒が飲めない代わりにコーヒーで朝までとことん付き合う田邊さんは、とにかく女優やモデルを諭すわけだ。もっとこうすれば売れるのにナゼしない! といった具合に、詰問しつつも叱咤激励して相手の心をつかんでいく。いつしか“田邊は説教しながらパンツを脱がす”なんて話が飛び交ったほどだよ」
“恥として受け止めています”
長らく独身を貫いてきた田邊氏が、ついに身を固めたのは91年だった。齢52にして、女優で歌手の小林麻美(37)=当時=と入籍。長男・泰三くんが生まれたことを記者会見で発表して世間の度肝を抜く。 先の芸能デスクによれば、 「田辺エージェンシーに移籍した小林が、17年来の交際を実らせたことでも話題になりましたが、会見で田邊さんは、所属タレントに“お手付き”したことを問われると、自ら“恥として受け止めています”と潔く言い切ったことが印象に残っていますね」 寵愛した女性絡みの話となれば、“ドン”はたしかにその剛腕ぶりをいかんなく発揮してきた。 2016年、田邊氏の事務所に所属していたタレントで元日本テレビアナウンサー・夏目三久(39)が、有吉弘行(49)と交際していたことがスポーツ紙にスッパ抜かれるや激怒し、テレビや新聞に続報しないよう根回しを図ったとの逸話も残る。 同じ年に起きた「SMAP解散騒動」では、香取慎吾(47)、草なぎ剛(49)、稲垣吾郎(50)と共に、ジャニーズ事務所を飛び出した飯島三智(みち)氏(66)が、田邊氏に後見人になってくれるよう打診したと報じられた。生前ジャニーズで権勢をふるっていたメリー喜多川氏と旧知の間柄だった彼が、仲裁役となった格好である。その後の香取らによる「新しい地図」の活躍を見れば、田邊氏の仲介が功を奏したのは明らかで、事務所の垣根を越えトラブルの火消しを担えるのが、“ドン”と呼ばれるゆえんだろう。