【100歳の100の知恵】愚痴をこぼしているときの人間の顔は醜いもの。「愚痴は言わない」と決めたから、イヤなこと苦手なことは避けて通る
101歳の長寿を全うした生活評論家、吉沢久子さんが日々の生活のなかで見つけた「幸せに生きる方法」「暮らしのアイデア」「簡単に作れるおいしい料理」は今の時代を生きる上でもヒントがいっぱい。エッセイ集『100歳の100の知恵』(中央公論新社)から吉沢さんの極意を1つずつ紹介します。 * * * * * * * <100歳の100の知恵 88> ◆<私のしないこと十訓>『愚痴は言わない』 愚痴をこぼしているときの人間の顔は、不満たらしくて、醜いものです。なかには口をへの字にひん曲げている人もいますが、そんな人に近づきたいとは誰も思わないでしょう。 愚痴を言わないためには、イヤなことや苦手な人を上手に避けて通ることも必要かもしれません。 あまり義理を気にせず、どんなときでも自分らしくあれば、そうそう不満はたまらないのではないかと思います。 私は100歳になりました。100年もこの体を使ってきたのだから、どこか病気が出てくるのも当たり前。だから「そんなものだ、仕方がない」と思っています。 ところがまわりを見ると、高齢になるにつれて愚痴が増える人が少なくありません。自分ばかりなんでこんな目に遭うのだろう、なぜこんなに不幸なのかという嘆きもよく聞きます。 誰だって、なりたくて病気になるわけではありません。ある程度の歳になったら、病気になるのは当然と思って、受け入れるしかないと思います。
吉沢久子
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