中国人墓地から考えるフィリピン華僑の歴史と抗日歴史観
イロイロの中国人墓地から見えるのは何か
比較的に新しい墓に出身地の記載がなく英文表記なのは大陸から移住して三世以降になると日常会話がタガログ語・ビサヤ語・英語となり中国語を話せず漢字を読み書きできないという背景がある。フィリピン華僑の大半は中国語を話せず自分の姓すら漢字で書けない人がほとんどだ。稀に中国語の読み書きができる老人もいるが移住一世の人たちである。 何世代か後になると、祖先の出身地についてはせいぜい“中国の南の方の海の近くらしい”くらいしか子孫は知らない。カトリックに改宗して混血して生活習慣・言語もフィリピン社会に同化しているので祖先の出身地が意味を持たなくなるのだろう。 華僑の1世には死ねば魂は故郷に帰るという死生観があるので、2世が親の墓を建てるときは出身地を必ず墓碑に記す。他方で2世、3世の墓を子孫が建てるときは、生まれ故郷が中国ではなく、出身地の漢字も分からないので出身地を記す必要性も方法もないのだろう。 この墓地は1969年に開かれたが墓碑を見ると、自分が生前に墓を建てたときに既に物故した両親を合祀しているケースが散見された。19世紀末~20世紀初頭の生まれの人の多くは子供が墓を建てた時に合祀されている。 いずれにせよ、イロイロ市の中国人墓地にも戦中・戦後の混乱期に大陸から混乱を逃れて渡航してきた人々も多数含まれているようだ。
セブ島の富裕層華僑が眠る公園墓地
本編第8回(【フィリピンの中華街と華僑ビジネス】世界最古のチャイナタウンと言われているのがマニラ中華街)にてセブ島の華僑富裕層の超高級住宅エリア“ビバリーヒルズ”を紹介した。 2022年8月。セブ・シティー市街地から数回路線バスを乗り継いで郊外の丘陵にある公園墓地に辿り着いた。ゲートのガードマンに挨拶すると墓地へ至る遊歩道を歩くように勧めてくれた。 丘陵全体が人工的に整備されており自然公園の中のテーマパークのようだ。古代ギリシア風の彫刻がそこかしこにあり、古代ローマのような噴水庭園もある。ギリシア神殿のような建物が丘の上に見える。全体が古代ギリシア・ローマの様式美でデザインされている。 ゆるやかな丘陵に囲まれた空間に高級石材を使った真新しい墓が点在している。十字架やマリア像が置かれた西洋的な墓と中国の伝統的な墓が半々くらいか。1920年代~1940年代に生まれた世代が多い。中国の出身地を記した墓碑は一つもなかった。ここに墓を建てた現在の世代では既に中国の出身地は意味を持たないのであろう。