なぜ松山英樹は歴史を塗り替えることができたのか?
残り236ヤードの第2打で迷わずに4番アイアンを選び、イーグルを奪った3日目と同じく、積極果敢に2オンを狙った。結果はグリーンを大きく越えて、奥に広がる池へ打ち込んでしまう痛恨のミスショット。何とかボギーでしのぐも、4連続バーディーを奪い、通算10アンダーに伸ばしたシャウフェレに2打差まで迫られた。それでも、松山は「裏目に出ましたね」と泰然自若としていた。 「(第2打が)3番アイアンの距離だったら刻もうと思っていたんですけど、4番アイアンの距離だったので。ザンダー(・シャウフェレ)も3連続バーディーで来ていたし、ここでバーディーを取れれば引き離せるかなと。まあ、後半に入って絶対に難しくなると思っていたし、自分の状態が緊張しっ放しだったので、本当にひとつずつミスをしないようにやっていたんですけどね」 焦る胸中をポーカーフェイスで覆い隠す松山の精神的な強さと、急に吹いてきた風とが追い打ちをかけたのか。続く16番(パー3、170ヤード)でティショットをグリーン手前の池に入れ、痛恨のトリプルボギーとしたシャウフェレが無念の脱落。松山も16番と18番(パー4、465ヤード)をボギーとするも、攻め抜いたなかで奪い続けたバーディーが最終的に栄冠をもたらす貯金となった。 ホールアウト後に優勝を決定づけたショットは何かと問われた松山が返した答えに、プレッシャーに負けるな、頂点に立つためには誰もが越えるべき道だと自らに言い聞かせ続けた跡が凝縮されていた。 「18番のティショットがフェアウェイへ飛んだことが、一番のキーポイントじゃないかと思います」 この時点で単独2位のザラトリスとは2打差。安全策を優先させれば3番ウッドでのティショットも考えられたが、振り抜いたドライバーに攻める姿勢を反映させた。第2打をガードバンカーに入れたものの、オーガスタの丘を上がってくる勇敢な挑戦者を、グリーン周りに集まったパトロンたちはスタンディングオベーションで迎えて、夕陽を浴びながら栄光を戴冠する瞬間を見守った。 前年覇者のダスティン・ジョンソン(36、アメリカ)からグリーンジャケットを着せられた松山は、85回を数えるマスターズの長い歴史のなかで、アマチュアの最上位者であるローアマとグリーンジャケットをともに受賞した、史上6人目の選手にもなった。 仙台市青葉区にキャンパスを置く東北福祉大学2年のアマチュアとして初めて臨んだ、10年前の2011年大会はいまも忘れられない。東日本大震災の発生から1ヵ月もたっていない状況で、出場するかどうかを迷ったときに、数え切れないほどの電話やメールで激励されて背中を押された。 「10年前にここに来たときに……ここに来させてもらって自分が変わることができたと思っているので。10年というのが早いのか遅いのかはわからないですけど、そのときに背中を押してくれた人たちにこうやっていい報告ができたのは、よかったと思っています」 マスターズを含めた4大メジャーの壁にはね返され続け、時には人目をはばからずに悔し涙を流したこともある。10年という歳月を費やして成就させた悲願には、いつかは必ず届けたいと松山が抱き続けた恩返しの思いも込められているが、それだけではない。松山はこんな言葉も紡いでいる。