高校野球の甲子園使用料ゼロのなぜ?
清宮、オコエ、小笠原ら注目のスター選手がベスト4へと勝ち進んだことで、阪神甲子園球場で行われている第97回全国高校野球選手権は、お盆明けの17日こそ4万人を切ったが、ほぼ連日のように満員が続いている。 40000人を超えた試合は、すでに45試合中27試合を数えた。さぞ、主催者側の朝日新聞、日本高野連、阪神甲子園球場はホクホクだろうと、その財布の中身を羨ましがる方も多いと思うが、実は甲子園の使用料はゼロ。球場内の飲食などの収入は球場側に入るが、使用料は無料。阪神甲子園球場を持っている阪急阪神ホールディングス側は、高校野球ビジネスで儲けているわけではないのだ。 球場関係者に、その使用料ゼロの理由を聞くと、甲子園が建設された大正時代の経緯に遡るという。 「甲子園球場は、昔は電鉄の運輸部が管轄していたんですよ。あの地域の土地開発計画と、朝日新聞側が求める、たくさんのお客さんを収容できる巨大球場建設という思惑が一致して建設することになりました。高校野球というソフトを見にくるために、阪神電車に多くの人が乗ってくれて、運賃を使い、おまけに地域の土地開発が進むならば、それで十分。使用料なんかいりませんという発想です。 昔、南海、阪急、西鉄、西武らの電鉄会社が、こぞってプロ野球球団を持ったときと同じ考え方ですよね。100年の高校野球の歴史において、甲子園を使ったのは90年ですが、もう1世紀ちかく経過しても、そのときの約束ごとが継承されています」
甲子園球場は、十干十二支の最初の年である「甲子年」にあたる1924年(大正13年)8月に完成、その年の第10回全国中等学校優勝野球大会から会場として使用された。途中、西宮球場が併用されたこともあったが、今では語り継がれる聖地となった。 だが、1917年(大正6年)に始まった第1回大会は、阪急電鉄の持つ豊中グラウンドが使用されていた。それが手狭となり第3回大会から、当時、阪神電鉄の所有していた2万人収容の鳴尾運動へ移されたが、人気が沸騰して観客を収容しきれなくなり、おまけに観客がグラウンドになだれ込む事件まで発生したため、主催者側が5万人規模の球場建設を阪神側に求めるという経緯があった。 その頃、阪神電鉄側にも、兵庫県が洪水対策で武庫川の支流の枝川、申川を廃川にしたことによって生まれた敷地を買収し、路線の北側を住宅地、南側をスポーツ施設、遊園地、動物園などを集めた総合レジャーランドにする構想が進んでいたため、両者の思惑が一致したのだ。甲子園の完成と同時に仮設の甲子園駅も作られ、さっそく多くの人々が阪神電車を使って集まるようになり、その後、着実に甲子園周辺が総合レジャー施設化していったため、当時は使用料無料で十分に元が取れたわけである。 ちなみにプロの阪神タイガースが創設されたのは、1935年(昭和10年)である。 だが、時代も変わった。もう電鉄使用運賃があれば、それで十分という時代ではなくなっている。甲子園使用料の見直しなどは、今後、検討されないのだろうか。 「そもそも、高校野球の理念を考えると、実際は大きなビジネスとなっていますが、なかなか使用料の見直しとかいう議論にはならないでしょう」とは、前述の関係者。 プロ球団によっては、横浜DeNAなど、球場の使用料問題が経営を圧迫しているチームも少なくないのだが、なんとも不思議な歴史。100年高校野球は、多くの人々の努力と、継承されてきた歴史の上に成り立っていると、改めて考えさせらた甲子園使用料ゼロの理由だった。