<挑む・’24センバツ>東北出場チーム紹介/中 八戸学院光星 できること、精いっぱい 地域の誇り、胸に /青森
5年ぶりのセンバツに挑む八戸学院光星(青森)は、青森県八戸市内の室内練習場で日々強化に励んでいる。凍結や降霜でグラウンドは使えないが、「できることを精いっぱいやって甲子園に行く」と仲井宗基監督(53)は力を込める。「東北代表にふさわしいチームを目指す」。そんな信念を口にする転機となったのは、2011年3月11日の東日本大震災だった。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち この年のセンバツが監督として初めての甲子園。沖縄県内でのキャンプを終え、帰校の途中に大地震は起きた。野球部は沖縄に引き返した後、直接関西入りした。幸いにも選手や自身の家族とは連絡が取れた。だが、テレビで被災した子供の姿を見ると、「野球をやっていいのかという葛藤が強まった」と仲井監督は振り返る。 同じ東北代表の東北(宮城)は避難所生活を経験。開会式のリハーサルで顔を合わせた我妻敏部長(41)=当時=のズボンの裾には、泥がこびりついていた。「着の身着のままだったのだ」と東北福祉大の後輩の苦労をおもんぱかるにつけ、「自分たちは、これでいいのか」との問いが頭を離れなかった。 この年のセンバツを機に、「東北の思いを背負って甲子園に行かなくてはならないと肝に銘じた」と明かす。恒例だったキャンプをやめた。冬場にグラウンドを使えないことを「寒冷地のハンディ」と考えるのもやめた。大きな力となったのは、14年12月に完成した室内練習場だ。野球部寮に隣接し、50メートル×40メートルの広さで全面人工芝。6カ所で打撃練習ができ、内野のシートノックも可能だ。 1、2年生だけで91人の大所帯だが、「全体の底上げをする。そして、誰も球拾いでは終わらせない」との方針で、レギュラーも控えも一緒に練習する。待ち時間が生じてしまうこともあるが、効率以上に「思いやりや気配りを身につけることを重視したい」と仲井監督は強調する。 実は、これも甲子園での経験に基づく。16年夏の2回戦、東邦(愛知)に九回裏、4点差を覆されて敗れた。東邦の粘り強い反撃に多くの観客が盛り上がり、その雰囲気にのまれた。「応援されるチームにならなくては」と痛感した。普段の学校生活も含めた人間性が、グラウンドでの一挙手一投足ににじみ出る。「それを野球の神様は見逃しはしない」と選手に伝えている。 能登半島地震で多くの人が被災した今年、センバツ出場を決めた選手たちを中村良寛校長は「今度は皆さんが、元気・勇気・感動を与えるプレーで(震災時の恩を)お返しする番」と激励した。砂子田陽士主将(2年)は「明るく一生懸命に、いい野球をする」。八戸市での鍛錬の成果を存分に披露するつもりだ。【藤倉聡子】