両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.20
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
ションベン横町
本間は杉本社長が新たに始めた小川原民族博物館の開設業務のため、小川原湖がある三沢へたびたび出張することになった。三沢といえば米国空軍基地があることで有名だが、その基地周辺には小さな飲み屋が軒を並べる歓楽街があった。 本間は昼間の仕事が終わると、その歓楽街に行ってみた。一番大きな“中塩通り”を歩いて行くと、“ションベン横町”とか“たぬき小路”と呼ばれる狭い路地があった。その路地の両側に、5、6人が一列に座れば一杯になってしまうカウンターだけの小さな飲み屋が並んでいる。 女の嬌声や酔っ払いの男の声が、あちこちの店の中から聞こえてくる路地を、本間が歩いて行くと、数メートル先の店の前で、若い女が所在なさそうに屈みこんでタバコを吸っているのが見えた。その女はじっと本間の方を見ている。本間が通り過ぎようとすると、女は立ち上がり声をかけてきた。 「あんた若くていい男だねぇ。一杯飲んで行かないかい。サービスしてあげるわよ」 女は本間の腕を取り、そして体を寄せてきた。 本間はまんざらでもない気分でその女の肩に手をかけた。すると 「俺の女に何しやがる!」と叫びながら、木刀を持った男が現れた。 「おい若いの、痛い目に遭いたくなかったら金を出しな」 本間は呼吸を整え、男と対峙した。無言の本間にイラついた男は、「この野郎!」と叫び襲いかかってきた。本間はぐっと踏み込み、木刀を握りしめた相手の腕を払い、体を入れて見事に男を投げ飛ばした。 「オウ、グレート! ビューティフル!」 見物人の中にいた米兵達が声を上げた。 それ事件から数日後、杉本社長に米軍関係者から連絡が入った。たぬき小路での一件が三沢基地で話題になり、米軍が合気道に関心を持っているので、本間を紹介してもらえないかというのである。杉本は、本間に「米軍の面接」を受けることを許可した。 数回の面接を経て、本間は格闘術師範として三沢米軍空軍基地に採用されることになった。時は昭和46年(1971年)、本間学21歳の時である。