小田和正「積極的に一人になったわけじゃないからね」と語るソロ活動への思いと270万枚の大ヒット曲『ラブ・ストーリーは突然に』の誕生秘話
『時は待ってくれない』#2
オフコース解散後、ソロでの活動を決意した小田和正。「一人でやっていけるという確信もなかった」と当時を振り返って語る、あのときの思い、そして間もなくして生まれた空前のヒット曲『ラブ・ストーリーは突然に』の誕生秘話をお届けする。 【画像】東京ドームでのオフコース解散コンサートの様子 本稿は、小田和正著『時は待ってくれない 「100年インタビュー」保存版』(PHP文庫)を一部抜粋・編集したものです。
個人事務所の設立
──オフコースというグループから一人になられて、その心持ちはどうだったのでしょう? 小田和正(以下、同) 心持ちといっても、積極的に一人になったわけじゃないからね。もちろん、最後は自分の意思でなったんだけど、もっと根本的なところでは、自分一人でやりたいと思ったわけじゃないし。 それ以前に、一人でやっていけるという確信もなかったからね。バンドで音をつくってきて、それ以外でやったことがないわけだから、どういうことになるのかなという感じでしたね。 ──いままでにない領域に足を踏み出したということですね。 まさに、何から何まで。みんなでお互いに協力しあってやってたから、何から始めていいのかわからないっていう感じだったね。 ──小田さんが個人事務所を設立されたときの挨拶状に意思表明が書いてありますので、ちょっと読ませていただきますね。 「理想を後回しにせず、いつも期待し期待され、やったねと言える仕事を、一つ一つ積み重ねてゆきたいと思っています。小田和正」 うん。若いですね。すばらしいね(笑)。 ──このときの思いは覚えていますか。 書いてあるとおりだと思うな。それこそ、根拠もないし、そんな立派なことができるという手段も、もちろん確信もないのに、そういう意気込みだったんだね。 「理想を後回しにせず」というのは、言い訳をしたくないということ。「いまはまだこうだから、この程度でいい」というのではなくて、最初から、理想があるのなら、できるだけそれに近いことをやっていこうと思ったんだ。 一つには、バンドのときは全員のコンセンサスが必要だったけど、もうコンセンサスはいらないんだから、どんなにそこは無理でしょっていうことがあっても、思いきって、そういう道がちょっとでもあるならいこうぜ、ということだね。 ──「期待し期待され」という部分は、ほかの人たちとのつきあいを想定しているようにも受け取れますが。 オフコースのときには、まわりをいっさい拒絶して、皮肉っぽく、「オフコース城みたいなお城を」なんて言われてたから、そんなものを全部取っぱらって、みんなと交わっていったら、どういうふうになるんだろうということに、結構、興味があったんだよね。 興味があったというか、もうそれしか方法はないんだろうなっていう……。いろいろな思いが錯綜してたな。