喜劇役者・伊東四朗が明かす…「サラリーマンになるつもりだった」人生が変わった瞬間
「芸能界は雲の上の世界でした」
「高校を卒業したらサラリーマンになるつもりでしたが、10社以上受けてぜんぶ落ちた。あの時、採用してくれる企業があったら、私は喜劇の世界にはいなかったわけです」 【写真】伊東四朗さんに密着!86歳「元気の秘訣」は? ドラマや映画、バラエティ、舞台などで活躍を続けている伊東四朗(86歳)。放送中のドラマ『老害の人』(NHK)も話題を呼んでいるが、6月からは新橋演舞場で『東京喜劇 熱海五郎一座 スマイル フォーエバー ~ちょいワル淑女と愛の魔法~』に出演する。 そんな彼の原点は、歌舞伎や芝居を観ることが好きだった若い日々にある。高校卒業後は大学生協でバイトしながら、時間を作っては観劇に様々な所に赴いたという。 「なんか、ワクワクしました。憧れはあったけど、当時芸能界は雲の上の世界でしたから、プロになろうなんて思ってもみなかった」 ところが、石井均氏が旗揚げした劇団の舞台には一座の役者が顔を覚えるほど通った結果、「やってみないか」と声がかかった。これが人生の転機となった。 「大学の生協では、月給1万円で正社員にならないかという話もありました。しかし石井さんの一座に入ることに決めた。こちらは月給4000円でしたが、迷いはありませんでした」 21歳でプロとして舞台に立つ日々が始まった。だが、劇団は3年後に解散してしまう。
てんぷくトリオ、小松政夫との思い出
「宙に浮いちゃってね。でもキャバレーの仕事もやっていたから、劇団でいっしょだった戸塚(睦夫)とコンビを組んで漫才をやった。後に三波(伸介)も合流しててんぷくトリオがスタートしたのです」 当時のトリオブームにのって、てんぷくトリオは一躍人気者に。バラエティや舞台、紅白歌合戦にも出演したが、1972年戸塚氏が42歳で急逝。トリオとしての活動は終わってしまった。さらにその9年後、三波伸介も52歳で亡くなった。 「二人が死んじゃった喪失感は大きく、なんかおっぽり出された感じがしましたね。てんぷくトリオという名前もなくなってしまった。でも、この世界をやめようとは思わなかった。他のところで、こんな自分を受け入れてなんかくれませんから(笑)。他に生きていく道がなかったんです」 ‘76年放送開始の『みごろ! たべごろ! 笑いごろ! 』(テレビ朝日系)では、小松政夫とのタッグが人気を博した。 「コンビを組むことはありませんでしたが、実は小松っちゃんとはコンビ名を考えたこともありました。『上手だね。上手だね』というギャグがあったので、サメ映画にかけて『オジョーズ』がいいんじゃないかと」 『ドラマに舞台に大忙し、86歳・伊東四朗にきく「元気の秘訣」と「テレビ界への提言」』に続く…
週刊現代(講談社)