J1通算300試合以上に出場した名ゴールキーパーは、なぜエスパルスの「広報」という仕事を選んだのか
【42歳まで現役を続けられた要因は...】 ── 多くのクラブを渡り歩いたなかで、最も充実していたのはキャリアの半分を占める、通算12年間在籍したエスパルス時代になるのでしょうか。 「そうですね。浦和の時も試合に出ていたんですけど、正直、勢いだけでしたからね。自分でも試合に出ていることが不思議なくらいで。 2004年に清水に来た時は、もちろんポジション争いもありましたけど、最初から主軸という形でずっと使っていただきましたから。一度は離れましたけど、2016年にまた取ってくれたこともありがたかったです。サッカーもそうですし、人間性も含め、エスパルスでいろんな経験をしながら成長できたと思っています」 ── フロンターレ時代はどうでしたか? 「フロンターレには4年いたんですけど、風間八宏監督の下でプレーできたのも大きかったですね。風間さんのサッカー理論はすごく独特で、本気でバルサに勝つと言っていましたからね(笑)。はじめは半信半疑でしたけど、その意識を日常にしてくれたので、僕たち選手もその気になって取り組んでいました。その成果が、今のフロンターレに表れているのかなと思います。 あと、それまでの僕は身体能力に頼っていた部分があったんですけど、風間さんと出会って、足もとの技術のところを徹底的に取り組みました。その時はもう31歳だったのでなかなかうまくいかなかったですけど、あの時期に足もとを練習したことが、42歳まで現役を続けられた要因のひとつになったと思います。ここでもやっぱり人に恵まれましたね」 ── 24年ものキャリアを過ごされたので難題かと思いますが、最も印象深い試合をひとつ挙げるとすれば? 「2019年の天皇杯の準々決勝ですね。ジュビロ磐田とのダービーマッチだったんですけど、その年はなかなか試合に出られていなかったんですよ。だけど、クサらずに日々の練習に取り組む姿をしっかりと見てくれていたんでしょうね。重要な試合で使ってもらったので、起用に応えたい気持ちは大きかったです。 その試合はPKまで行って、そこで2本止めて勝つことができました。自分がやってきたことが報われたような気がして、今でも記憶に残る試合です」