918人が集団自殺…「カルト」の文字が初めて新聞に踊った1978年人民寺院事件…日本では“金余り”90年代に「オウム、統一教会、幸福の科学」らが躍進
日本の10大カルト #1
そもそもカルトとは「狂信的な崇拝」「少数者による熱狂的支持」の意である。よって、それがカルトなのか単なる新宗教なのかの線引きは難しい。 【映画】シャロン・テート事件を扱った映画といえば 書籍『日本の10大カルト』より一部を抜粋・再構成し、1960~70年代にアメリカでカルト教団が起こした事件と、日本でのカルトの成り立ちについて解説する。
シャロン・テート事件とチャールズ・マンソン
最初、カルトに注目が集まったのはアメリカ合衆国においてだった。日本においてではなかった。 1969年8月9日、女優のシャロン・テートがカリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で友人たちとともに殺された。彼女は著名な映画監督、ロマン・ポランスキーの妻で、事件当時、妊娠していた。胎児もろとも殺されたことになる。ポランスキーは事件の前年『ローズマリーの赤ちゃん』というホラー映画を監督し、話題になった。 この事件の犯人は、チャールズ・マンソンという音楽家でもある人物が率いていたコミューンのメンバーで、彼らはマンソンとともに逮捕された。彼らはほかにも殺人事件を起こしていた。しかも殺人は相当に残虐な手口で行われた。 マンソンは直接犯行に携わったわけではない。だが、一連の殺人を指示したとして死刑判決を受けた。実行犯も終身刑となった。その後、カリフォルニア州では一時死刑が廃止され、マンソンもその対象となり、終身刑に減刑された。刑務所から病院に移されたマンソンが83歳で亡くなったのは2017年のことだった。 この事件を報じる当時のアメリカの新聞を見てみると、この集団をさしてカルトということばは使われていない。
死者918人の人民寺院事件
カルトの文字が新聞の紙面に躍るようになったのは、マンソンの事件の9年後、1978年に南米のガイアナで起こった人民寺院という教団の集団自殺においてだった。このときには918名が死亡しているが、なかには自殺を拒んで殺された信者もいた。 人民寺院を率いていたのはジム・ジョーンズという人物だった。ジョーンズはプロテスタントの牧師だったが、社会主義の思想に感化され、ガイアナに土地を求め、そこで社会主義の実践を試みようとした。ところが、人民寺院が人権蹂躙を行っているという疑いが持ち上がり、アメリカ合衆国下院議員のレオ・ライアンが調査のためガイアナを訪れた。 事件のきっかけになったのは、ライアン議員が信者によってナイフで襲われたことだった。それで議員がアメリカへ戻ろうとすると、人民寺院の武装集団が飛行機を銃撃し、議員らを殺害した。ジョーンズは、人民寺院はこれから外部の勢力に襲撃され、メンバーは拷問されると危機感を煽り、それが集団自殺に結びついた。 親たちがまず子どもたちに毒物を飲ませ、自分たちもそれに続いた。ジョーンズは、銃殺されているのが見つかったが、自らに銃を放ったのか、それとも誰かに命じて撃たせたのか、その点ははっきりしない。 衝撃的な事件であるだけに、人民寺院についての書物もその後いくつか刊行された。私はそのうちの一つ、ティム・レイターマンとジョン・ジェーコブズによる『人民寺院―ジム・ジョーンズとガイアナの大虐殺』(越智道雄監訳、ジャプラン出版)を読んだ。 著者はともにジャーナリストで、そのうちの一人、レイターマンの方はライアン議員に同行して人民寺院が入植したジョーンズタウンを訪れ、事件に遭遇した。彼はすでにその前から人民寺院のことを調べており、事件後、協力者となったジェーコブズとともに、ジョーンズの生い立ちから、宗教家としての活動、そして事件へと至る経緯を追うこととなったのだ。 この本を読んでみると、人民寺院が誕生した当初の段階では決して危険な集団ではなかったことが分かる。しかし、核戦争の勃発を予言し、社会主義にもとづく楽園を地上に建設しようという構想は次第に先鋭化し、最後は想像を絶する悲劇を生むことになったのである。