ローリング・ストーンズも憧れたブルースの聖地、チェス・レコード訪問記【シカゴ音楽旅行記Vol.3】
ストーンズとチェス、60年代から現在まで続く関係
狭く急な階段を上がった2階は、ウィリー・ディクスンの名を冠した部屋。衣装、直筆の歌詞、グラミー賞などの記念品、愛用したアップライト・ベースなど楽器の数々が飾られている。もともとはボクシング選手であり、ベーシスト/ソングライター/プロデューサー/A&Rなど様々な役割を兼任したレーベルの大黒柱は、こだわりも相当強かった。チャック・ベリーが名曲中の名曲「Johnny B. Goode」を録音するとき、当時はスタジオBと呼ばれたこの部屋で40回もリハーサルさせられたあと、ようやくウィリーからGOサインが出たそうだ。 ザ・ローリング・ストーンズにとってチェス・スタジオは憧れの聖地。彼らは1964年にここで初セッションし、建物の住所に由来する「2120 South Michigan Avenue」を録音しているが、尊敬するマディ・ウォーターズらがコントロール・ルームから演奏を見守っていたため、緊張のあまり歌詞を忘れてインスト曲になったとJanineさんは解説する。 2019年にチェス・スタジオ初訪問55周年記念で写真展を開催したときは、ポスターが瞬く間に完売。ストーンズはシカゴ・ブルースのカバーアルバムとなった2016年の『Blue & Lonesome』 を経て、2023年の最新作『Hackney Diamonds』ではバンド名の由来となったマディ・ウォーターズ「Rollin’ Stone」(チェス録音)をカバーしている。「彼らが最後のアルバムを作るときはチェスでレコーディングしてほしい」とJanineさんはラブコールを送っていた。
伝説的ラッパーとまさかの邂逅
実はこの日、思わぬサプライズがあった。パブリック・エネミーが翌日のRiot Fest出演に向けて(本連載Vol.2参照)、チェス・スタジオでリハーサルしていたのだ。 「ミック・ジャガーが感銘を受けたように、みなさんもこの部屋で巨匠たちと同じ空気を共有してください」とチャック・Dが語ると、「あなたも巨匠でしょ!」とツアー客のひとりからツッコミが入る。彼はマディ・ウォーターズが同時代のサイケデリック・ロックに接近した1968年の異色作『Electric Mud』を通じてブルースとチェスの歴史にのめり込み、マーティン・スコセッシ製作総指揮のTVドキュメンタリー番組『The Blues : Godfathers and Sons』(2003年)で同アルバムのバンドメンバーと共演。このスタジオに何度も足を運んできた。 「ブルースは赤ん坊を生み、その子をロックンロールと名付けた」というのはマディ・ウォーターズの名言。あらゆるポピュラー音楽の父として、ジャズ、ソウル、ファンク、ヒップホップなど後世のジャンルに派生していった影響をJanineさんも力説する。チェス・レコードの音楽的な功績はもちろん、ビヨンセがエタ・ジェイムス役と製作総指揮、モス・デフがチャック・ベリー役を務めた映画『キャデラック・レコード』(2009年日本公開)でも描かれているとおり、今より遥かに人種格差が横行していた時代にブラックミュージックと白人社会をクロスオーバーさせた功績も計り知れないものがある。 「私たちのミッションは大きく4つ。ブルースの価値を次世代に伝えること、チェスの建物と文化をこれからも保存していくこと、有色人種のギャランティ格差を是正すること、女性のエンジニアを育成することです」とJanineさん。合間に関連曲や動画を再生しながらの1時間半に及ぶガイドを締めくくったのは、エタ・ジェイムスによる「At Last」の名唱。シカゴに来てよかったと思える、心地よくも学びの多いひとときだった。 --- ※【シカゴ音楽旅行記】は全4記事、続きはRolling Stone Japanのウェブに掲載Vol.1:歴史と文化を受け継ぐライブハウス、夜を彩るブルースとジャズの老舗(※本ページ)Vol.2:パンク愛から生まれた「遊園地みたいな」音楽フェス・Riot FestVol.3:ストーンズも憧れたブルースの聖地、チェス・レコード訪問記Vol.4:必ず行きたいグルメと観光、音楽ファンを魅了するおすすめホテル ※取材協力:ブランドUSA、シカゴ観光局
Toshiya Oguma