<高校野球>呉がセンバツ決定 昨夏は「野球をしていいのか」と葛藤 今「豪雨被災地に力を」
2年ぶり2回目のセンバツ切符を手にした呉の地元・広島県呉市は、昨年7月の西日本豪雨で25人が死亡するなど甚大な被害を受けた。ナインは出場決定の知らせに跳び上がったり、涙を流したりして喜ぶ一方、「被災地を元気づけるためにも、いい試合をしたい」と表情を引き締めた。 【おめでとう 出場32校の一覧はこちら】 豪雨では市内の送水設備が被災し、野球部員の半数近くが暮らす寮が約1週間断水した。自宅が被害に遭い、避難所で暮らす家族と離れて寮で約3カ月過ごした部員もいた。 夏の広島大会直前だったため、豪雨の数日後には練習を始めた。しかし、部員らは大半が呉市や東広島市など被災地域の出身。慣れ親しんだ町が土砂崩れなどで一変したことに動揺を隠せなかった。大会は初戦で惜敗。赤沢賢祐部長(40)は「『自分たちは今、野球をしていていいのか』という葛藤があったのだろう」と振り返る。 7月末、中村信彦監督(64)の提案で部員らは市内でも特に被害が大きかった安浦地区と天応地区を訪れ、土砂かきなどのボランティアに汗を流した。地元では市立呉の略称「イチクレ」として親しまれている野球部。被災者から「頑張れ」と次々に声を掛けられたという。 「ひどい被害を受けたのに多くの人に応援してもらい、恩返しをしたいと思った」と上垣内俊早主将(2年)。秋季県大会を次々と勝ち上がって準優勝し、中国大会でも4強入りを果たして地元に吉報を届けた。上垣内主将は「被災者の皆さんの励みになるようなプレーを見せたい」と意気込む。 よく練習を見に来るという近くの自営業、折見孝一さん(60)は「昨年は豪雨で沈みがちだったが、久しぶりに明るいニュースで最高にうれしい。いつもあいさつをしてくれるすがすがしい子たち。甲子園での活躍を期待したい」とエールを送った。【隈元悠太、東久保逸夫】