“最後の孤立部族”センチネル族になぜ私たちは魅了されるのか、世界中でカルト的な人気に
【後編】宣教師殺害事件をきっかけに広く世界に知られた、北センチネル島の民をめぐる手記
アンダマン諸島を訪れると、センチネル族について最も奇妙なことの1つに気づくだろう。地理的には、実はセンチネル族はそれほど孤立しているわけではない。わずか30キロほど先のビーチでは、観光客がのんびりとシュノーケリングを楽しんでいる。 ギャラリー:センチネル族の人々、侵入者拒む歴史 写真5点 26年前に初めてアンダマン諸島を訪れたとき、私(著者のアダム・グッドハート氏)は愚かにも北センチネル島の海岸に不法侵入することにした。周辺の海域は厳重に立ち入り禁止になっており、インドの沿岸警備隊と海軍が定期的にパトロールしている。 そこで私は、南アンダマン島の漁師にお金を払い、夜の間に小型モーターボートで海峡を渡って連れて行ってもらった。南アンダマン島の人口は約20万人で、ほぼ全員がインド本土からの移民だ。
私たちと同じように、彼らも私たちを観察してきた
夜明けに北センチネル島の岩礁のすぐ沖に到着した。森の林冠の下に3人のセンチネル族が立っている。2人の男がカヌーで礁湖を渡っていた。 私が写真を撮ったりメモを取ったりしていると、ガイドが合図した。竜巻と黒い雲の壁がこちらに向かってきていたのだ。5時間の手に汗握る航海の末、私たちは南アンダマン島に戻ったが、突然のモンスーンの嵐で溺れかけた。それでも、昼食の時間には間に合った。 最近私は、観光客で混雑している200人乗りのエア・インディア機で、アンダマン諸島を再訪した。ただし、北センチネル島ではない。 旅行者は、72棟の豪華なバンガローを備えたビーチリゾートとスパを楽しむことができる。ほとんどのバンガローには専用のプライベートプールがある。このバンガローはアンダマン諸島の先住民の小屋からインスピレーションを受けて作られたといわれている。 センチネル族はこれらの小屋を自分たちの集落から見ることはできないが、アンダマン諸島の行政の中心地ポートブレアの上空に立ち込める黄褐色のスモッグは見えるだろう。センチネル族は間違いなく旅客機を見ている。北センチネル島のすぐ近くを通過するため、観光客は顔とスマホを窓に押し付けて、インスタグラムに投稿する画像を撮影する。 鋭い目を持つ狩猟採集民のセンチネル族が、外の世界が彼らを観察してきたのと同じくらい熱心に外の世界を観察してきたことは確実だ。今や私たちのボートと飛行機は彼らの環境で見慣れたものとなっているため、おそらくもっと熱心に外の世界を観察しているだろう。 アンダマン諸島の他の島々では、かつては手つかずだったビーチが近隣諸国からの漂流物であふれているのを私は目にした。ビーチサンダルやタンポンのアプリケーター(挿入管)、何百本ものペットボトルだ。そのようなゴミは確実に北センチネル島の海岸にも流れ着いているだろう。 2000年代に安全な距離からセンチネル族を観察するために数回ボートで北センチネル島を訪れたインドの人類学者ビシュバジット・パンディヤ氏は、かつて何人かの島民が、おそらく通りがかりのボートから落ちたであろう青いビニールシートを小屋の屋根に使っているのを見たことがあると教えてくれた。 地球上の80億にもなるその他大勢である私たちが、帝国主義の植民者と同じように、容赦なく無謀にセンチネル族の領域を侵食しつつある。それが真実だ。気候変動や乱獲、汚染、プラスチックごみは、センチネル族が生き残るために必要な動植物を破壊し続けるだろう。 しかし、この小さな島の神秘性とデジタル上の並外れて大きな存在感は、衰える兆しがない。少なくとも今のところ、北センチネル島の孤立は、センチネル族だけでなく私たち全員にとっても喫緊の目的を果たしている。 日常の空間と時間から切り離されたその場所の完璧な隔絶性は、私たち自身が自らを慰めるためのファンタジーなのだ。センチネル族が存続する限り、私たちはほんのわずかであるが、地球そのものが侵されずにいると自分に言い聞かせることができる。