「仕事で成功するのはプロか天才か?」意外な結論 つんく♂✕孫泰蔵がたどり着いた「独自の天才vs凡人論」、その驚きの内容は?
そこで、どうしたら天才になれるかではなく、そこにプロという新しい概念をつくり出すことで、天才になれる・なれないかという話ではない次元に高めている。 AかBではなく、Cだという、ヘーゲルのいうところのアウフヘーベン(止揚:矛盾や対立を高い次元に引き上げ、調整・統一すること)ですよね。 このモデルは多くの人を勇気づけてくれるし、これを編み出したつんく♂さんって、やっぱりすごい超一流の人だと感じたんです。
だからこそ、あれだけヒットを飛ばして、いつの時代も多くの人の心をつかみ続けられるんだなというのが、理解できたような気がしました。 つんく♂:凡人が天才に勝てる道があるとしたら、「本物のプロ」になるしかない。ビジネスの世界では、天才はプロに勝てません。 つんく♂:そもそも、人がどういうときに「天才」という言葉を使うかといえば、「負けを認めたとき」だと僕は思っているんです。 人って、まず「この人はすごい」「俺にはちょっと敵わない」と思ったときに、過去の何かにたとえたくなるんですよ。「令和の松田聖子!」とか「令和のメッシ!」とかね。ものの場合は「昔でいうレコードです」とか「フロッピーディスクの親分みたいなものです」みたいな。
そうやって自分で理解できる範囲に置くことで、なんとか心の安定をはかるように思うんです。 ■「天才」という言葉を、なぜ使ってしまうのか つんく♂:ただ、ついに過去の誰にも何にも置き換えられない、見たこともないものに出会ったとき(敗北感を感じたとき)に、人はそれを「天才」と呼び、自分の心をなだめるんだと思います。「あれは天才だから別だよね」みたいな感じで。 孫:なるほど。確かにそうかもしれませんね。まずは過去のすごい人と比べようとするわけですね。
つんく♂:たとえられるときは、まだ少しだけ優越感があるんです。たとえるものがないほどの才能に出会ったとき、つまり次元が違う才能に対しては、「天才」という言葉を使うしかないと思うんです。 孫:見たこともない、切り離された存在ですね。 ■子どもはみんな「天才」だ! つんく♂:そういう意味で、3歳未満の子どもたちって、みんな天才だと思うんです。まだ常識なんて学習していないし、比べるものがない。 常識を身につけてしまった僕らから見れば、異次元の存在ですよ。だから「何でそれを口に入れんねん!」「何でそれを家の中に持ってくるねん!」となる(笑)。