「対馬丸」歴史語り継ごう 沖縄と奄美の児童ら参加 宇検村で平和学習交流事業
太平洋戦争中、米軍潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」について学ぶ平和学習交流事業が24日、鹿児島県宇検村で行われた。沖縄県と宇検村などから小中学生と保護者ら約50人が参加し、同日宇検村宇検であった慰霊祭にも参列。児童生徒は「自分なりに戦争について考えていく」「身の回りの人に語り継いでいく」と話し、平和への誓いを新たにした。 対馬丸は1944年8月21日、学童や一般疎開者ら約1800人を乗せて沖縄県の那覇港を出港。翌22日、悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈んだ。判明しているだけで学童約800人を含む1484人が犠牲になったとされている。 一部の生存者や遺体は宇検村、大和村、瀬戸内町に漂着。船越(ふのし)海岸には地元住民らの要望によって2017年に慰霊碑が建てられ、これをきっかけに翌18年から沖縄県主催の平和学習交流事業が始まった。 参加者は多くの遺体が流れ着いた船越浜に立ち、風の音や潮のにおいを嗅ぎながら当時救助に当たった宇検村民の証言史料などを確認。代表児童生徒が慰霊碑に献花し、犠牲者へ黙とうをささげた。 後半は同村湯湾の元気の出る館に移動。これまでの学びを振り返り、「まだ判明していない犠牲者もいると知って驚いた」「亡くなった子たちはやりたいことがまだたくさんあったと思うと心が痛む」などと意見を交わし、平和への思いを強くした。 地元田検中3年生の生徒は「静かな船越浜でこんなに悲しいことが起こったとは信じられない。これからも自分なりに戦争について考えたい」と話した。 沖縄県から参加した兼城中1年生の生徒は「80年前に奄美の人が流れ着いた遺体を埋葬してくれたことに感動した。地元の出来事として、身の回りの人にずっと伝えていく」と決意。共に参加した母親は「内地の雪が見られると喜んでいたという疎開船の子どもたちの無邪気さを思うと、親として涙が出る思い。沖縄に帰ったら皆に伝えたい」と話していた。