「死んで楽になるなら死にたい」悲劇から3カ月…張本智和の“50年ぶり金メダル”快挙はなぜ生まれたか? 五輪後に明言していた「ある計画」
「死んで楽になるなら死にたい」悲劇から3カ月後…
「死んで楽になるなら死にたい」 「もう力が残っていないです」 試合後の言葉は痛切だった。衝撃的な言葉でもあった。 それでも気持ちを切り替え、臨んだフランスとの3位決定戦で張本はシングルス2試合に出場し1勝1敗――チームの勝利そしてメダルには届かなかった。 「スウェーデン戦も、フランス戦も、僕が勝てていれば終わっていたので」 責任を一身に背負うかのようだった。 でもそのままではなかった。時を置いて気持ちを立て直していった。 「東京のときは最後に(団体で銅)メダルを獲ったことで、課題があやふやになったと思います。メダリストとして過ごし、よかったオリンピックだと思い込んでしまいました。今回は3種目すべてだめで、明確にだめだったオリンピックとして次に進めます」 それを「いい悔しさ」と表した。
「『張本は強い』と意識づけたい」
帰国すると短い休みを挟み練習を再開した張本は、明確に計画も描いた。 30歳を競技生活の区切りと捉え、目標を掲げた。 「(2028年ロサンゼルス、2032年ブリスベンのオリンピック)2大会に出場して、シングルスで絶対にメダルを獲る」 そのための1つとして、パリで感じた課題である攻撃力の向上に取り組むことを決意した。 もう1つ、掲げたことがある。 「今のうちに『張本は強い』と(相手に)意識づけたいです」
張本の決意を感じさせた決勝戦
そのためにはタイトルを獲ることが必要と考え、今年、その目標としていたのがアジア選手権と年末のWTTファイナルズだった。アジア選手権の優勝で、目標の1つを達成したことになる。 技術もさることながら、中国選手相手に引かない打ち合いを見せた決勝は、張本の決意をあらためて感じさせるものだった。 タイトルを手にした張本は、アジア選手権で中国の3選手を破った妹の美和とともに、日本の選手が到達していない高みを目指し、進んでいく。
(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)
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