「投げ合うときはいつも意識していた」。大学時代から鎬を削ったライバル、巨人・菅野智之が語る野村祐輔
今シーズン限りで13年間の現役生活にピリオドを打ったカープ・野村祐輔。これまでさまざまなライバルと鎬を削りながら、戦い抜いてきた。 【写真】野村祐輔氏は三軍投手コーチ兼アナリストに就任 ここでは、東海大時代から明治大・野村と共に1989年世代を代表する投手として注目され、プロ入り後も互いにエースとして投げ合ってきた同学年のライバル投手である巨人・菅野智之に聞いた惜別の思いを紹介する。 ◆これから投手として味が出てくると思っていた 最初に野村が引退することを聞いたときは、率直に驚きました。今シーズンもファームで投げていたのは知っていましたし、夏場には一軍でも登板していましたし、まだまだチャンスがあるんじゃないかと思っていたので……。びっくりした、というのが一番の気持ちです。 野村は、もともと投球術を持っている投手だと思っているので、僕としては〝これから投手として味が出てくるとき〟なのではないかと思っていました。それだけに、まだまだ現役としてプレーできるのではないかと思ってしまいますね。 大学時代は日本代表のときに同部屋だったりしましたし、彼との思い出はいろいろあります。野村が明治大のエースとして活躍するなかで『東京六大学でナンバーワンのピッチャー』と言われていただけあって、彼からは『俺が一番なんだ』というプライドみたいなものも感じていました。僕自身は『なんとか野村に負けないように頑張ろう』という気持ちをいつも持っていました。思い返してみると、そういう印象が強いですし、それが一番思い出に残っています。 タイプ的にスピードボールを投げる投手ではありませんが、右打者に対して、あれだけシュートを投げ続けて攻めるというのは、技術はもちろん必要となりますし、度胸も含めてすごいなと思って見ていました。 お互いにプロになってからも投げ合うことはたくさんありました。2016年に野村は16勝で最多勝を獲得してチームの優勝の原動力となっていました。あのような野村の活躍を見ていて、羨ましいなと思っていました。そして、投げ合うときにはいつも意識をしていました。 普段から連絡を取り合ったり、直接会って話す機会は少ないですが、野村がチームや野球界に残したものというのは本当に大きいと思います。すごく練習熱心ですし、あくまで僕の印象ですが、人に教えることも彼自身好きだったのではないかと思っています。それだけに、今後は野球界に彼の知識や、今までの経験・技術などを後輩たちにを還元してもらいたいと思います。そして、『13年間本当にお疲れ様でした』と伝えたいです。 ■菅野智之(すがの・ともゆき) 1989年10月11日生、神奈川県出身 東海大相模高-東海大-巨人(2012年ドラフト1位) 東海大時代は同学年の明治大・野村祐輔らと大学球界を代表する投手として活躍。巨人に入団するとルーキーイヤーから先発ローテーションに定着。その後は長年巨人のエースとして君臨し、MVP、最優秀防御率、最多勝、沢村賞など、数々のタイトルを複数回獲得するなど、日本球界を代表する先発投手として活躍。2024年は15勝をマークし、5度目の最多勝に輝く活躍で優勝に大きく貢献した。
広島アスリートマガジン編集部