<21世紀枠チカラわく>人生変えた伝統の全力疾走 初の私立 土佐 選抜高校野球 /4
高知市の市街地に建つ学校から5キロほど南にある高台のグラウンド。寒風を蹴散らすように白の練習着の選手たちが駆ける。試合だけにとどまらない、土佐伝統の「全力疾走」は健在だ。 同校が私立校として初めての21世紀枠でセンバツに出場したのは2013年の第85回大会。右文尚武(文武両道)を掲げ、1953年夏と66年春の甲子園で準優勝した古豪も低迷が続き、実に20年ぶりの甲子園だった。地元出身で野球少年だった当時主将の織田真史さん(25)でさえ、中高一貫の土佐中学に入るまでは「野球が強いことも全力疾走の伝統も知らなかった」と笑う。 2012年秋は県大会3位で四国大会に進出。3年連続で21世紀枠の県推薦校となったが、「私立が選ばれたことがなかったので無理だと思っていた」と織田さん。予想外だった選出は「先輩たちが築き、大事に受け継いできた土佐の伝統があったからこそ」と思っている。 本番は、優勝した浦和学院(埼玉)に善戦したものの0―4で初戦敗退。それでも織田さんは「遠い存在だった甲子園に出られたこと、そこで全力疾走できたことは最高の思い出」と話す。 ◇野球少年の進路にも影響 その試合を、高知市から遠く離れた島根県大田市でテレビ観戦していた当時中学2年生の楫(かじ)憲護さん(22)=同志社大4年=は衝撃を受けた。「どんな時でも全力疾走。しかも優勝候補相手のナイスゲーム。勉強をしながら甲子園を目指す。ここしかないと思った」。一人の野球少年の人生が変わった。 翌春、希望通り土佐に進学。守りの要の捕手として15年秋の四国大会で準決勝に進出した。延長の末、強豪・明徳義塾との同県対決に負けはしたが、翌年のセンバツに一般選考で選出された。「先輩たちを少し超えたかなとも思うが、21世紀枠でのあの試合を見ていたからこそ」という思いは強い。 冬場の練習時間は午後4時から2時間ほど。いつの時代も変わらないが、母校の指揮を執って10年になる西内一人監督(55)は選手を見やりながら「生徒の考え方は変わってきている。右文尚武と言いながら勉強に逃げるというか……」。 監督はぼやきもするが、16年のセンバツ出場チームにあこがれたという和田大司主将(17)は「全力疾走はしんどい時もあるが、達成感が違う。勉強も野球も高いレベルでやれる『土佐の野球』は誇り。先輩たちには負けたくない。目標は甲子園」と力強い。 練習に試合に、長く後輩たちを見守ってきた野球部OB会長の寺尾郁夫さん(74)は目を細めて、こう言う。「21世紀枠で改めて評価してもらった土佐の伝統が、次々に受け継がれていくことがなによりうれしい」【山口敬人】 ◇古豪 2015年の第87回大会に21世紀枠で出場した桐蔭(和歌山)は旧制和歌山中時代、1915年の夏の第1回大会に出場し、21、22年には連覇を達成。センバツでも27年の第4回大会を制している。同じ和歌山では2010年の向陽も旧制海草中時代の1939、40年に夏の連続優勝を成し遂げた。この他、50年に夏の優勝経験がある2015年の松山東(愛媛)は82年ぶり2回目のセンバツを21世紀枠で手にした。大会は中止になったものの20年に選出された磐城(福島)も1971年に夏準優勝を果たしており、95年夏以来25年ぶりの甲子園出場と注目を集めた。