「被爆から3日後に路面電車が走った」 小学生が見て聞いて考えて… “ナガサキ”に届けたい“ヒロシマ”
原爆で被害を受けた「ヒロシマ」「ナガサキ」を互いに、伝え・知るために、長崎の小学生とオンラインでの交流会が行われました。被爆地の児童たちが交流する『平和学習』に密着しました。 【写真を見る】「被爆から3日後に路面電車が走った」 小学生が見て聞いて考えて… “ナガサキ”に届けたい“ヒロシマ” 1月中旬、広島市の平和公園に集まってきたのは広島市南区の広島大学附属小学校の5年生63人です。 被爆者・河合よねさん(86) 「もう8月6日って言っただけで全部見えるんです。本当に音も匂いも、とにかく全部感じちゃうんですね」 小学2年生の時に被爆した河合さんの言葉を児童たちは熱心に聞き入ります。被爆者の平均年齢は85歳と、広島に住むこどもたちも被爆者から直接体験を聞くことが難しくなっています。 そんな中、この学校で行われているのが被爆の実相について知り、学んだことを長崎大学附属小学校の5年生に伝える『平和学習』です。 児童 「原爆の悲惨さをちょっとでも知れたらいいなと思って」 被爆体験を後世に伝える原爆詩の朗読にも挑戦しました。 原爆詩 「げんしばくだんがおちるとひるがよるになって人はおばけになる」 ■班ごとにフィールドワーク 当たり前の日常を一瞬にして奪った原爆とは? 班ごとにフィールドワークで伝えたいことを考えます。まず、向かったのは原爆資料館です。ほとんどの児童にとって見学は初めてです。 当時の惨状を今に伝える数々の資料を目を背けることなく、真剣なまなざしで見つめます。 児童 「真っ黒になってるよね。弁当全部。おかずとか全部入って…」 じっと覗き込んでいるのは、爆心地から600mで被爆した中学1年生のお弁当箱でした。 児童 「爆弾で黒くなったご飯が、せっかくお母さんが作ってくれて、大事に食べようと思ったけどこうなってしまったから、ちょっと悲しいというか、残酷」 「本当に悲惨ですごい姿になりながら、家族を亡くしてしまっていた」 改めて、自分の目で見て感じた原爆の恐ろしさ。平和公園の近くにある本川小学校(広島・中区)でも被爆建物の校舎を巡りました。