東京で金…ベテラン見延和靖選手をパリ五輪へと駆り立てた家族の存在 エペ団体で2大会連続メダル
パリ五輪フェンシング男子エペ団体で2大会連続のメダルを獲得した見延和靖選手(福井県越前市出身、ネクサス)。東京五輪後、再び五輪を目指そうと思えた理由が家族の存在だ。無観客開催だった東京大会。家族を呼べなかった心残りをフェンシング発祥の地フランスで果たし「生で試合を見てもらえて良かった」と喜んだ。 1回戦のベネズエラ戦。第3試合に出た見延選手は第5試合でリザーブの古俣聖選手(本間組)との交代を告げられた。一度交代すると再びピストに上がることはできない。見延選手のパリ五輪はここで幕を閉じた形となった。 しかし福井から駆けつけた総勢17人の親族は「団体戦だから(交代は)そういうもの」。日本の勝利を信じ、引き続き加納虹輝選手(JAL)らの家族とともに観客席から応援を続けた。 見延選手は東京五輪後、目標を見失っていた時期がある。金メダルを獲得し大きな達成感と満足感を得たためだ。「道があるかも分からないところを目隠しされて進んでいくよう。ここから目指す道は本当に正しいかどうかも分からない」との感覚に陥った。コーチから「これ以上何を求めるんだ」と言われたこともあった。 「家族にはそんなふうに悩んでいる姿は見せなかった」と長兄の隆浩さん(43)は話す。通算100試合以上、見延選手のプレーを見守ってきた隆浩さんたちは、パリ五輪を目指すものと信じて疑わなかった。夕食の乾杯の際には必ず「パリ行くぞ!」と声を出し「アスリートの和靖を見続けたい」と変わらぬ思いを持ち続けた。 2年間悩んだ見延選手が再び五輪を目指す決意を固めたのは、東京大会が無観客だったことが大きい。「生で金メダルを取る姿を見せられなかったのが悲しかった。必ず家族をパリに招待して、実際にもう一度金を取る姿を見せたい」。そして家族に「パリ五輪出場に向け、できることはすべてやる」と伝えた。 見延選手には信念がある。「チームが一つになるには最小単位のコミュニティーである家族は大切にしなきゃいけない」。チームメートにも常々家族を大事にするよう伝えている。 決勝後、現地ボランティアが見延選手の家族に駆け寄り、次々とたたえる言葉をかけた。隆浩さんは見延選手が「いろんな人に感動を与えるアスリート」だとあらためて実感できたという。「悔しさもあるだろうが、ここまで連れてきてくれてありがとう」。今後、食卓では「ロス行くぞ!」と声をかけるつもりだ。