平成のブログに書き殴った「黒歴史」。mixiは“匂わせ”の先駆けだった?
演劇モデル・長井 短。平成5年に生まれ、平成を生き抜いてきた彼女が、忘れられない平成カルチャーを語り尽くす連載「来世もウチら平成で」。最終回は、平成のブログ文化を振り返る。 【画像】女子高校生時代、制服×ルーズソックス姿の長井短
今の自分を作った、平成のブログ文化
連載「来世もウチら平成で」、早いもので第11回です。 いろいろ振り返ってきたけれど、ずっとこうもしてられない。なんてったって私は令和の三十路なわけで、これから先に訪れる人間盛りに胸を打ち震わせるためにも、第11回をもってこの連載は終了です! くそ~、楽しかったけれど仕方ない。もっともっと楽しくなるためなのだ。 最後のテーマは何にしよう。平成で一番思い出に残ったものってなんだったかな……。NINTENDO64を幼なじみと一緒にうちのリビングでやりまくったこと? 『笑う犬の冒険』を観てお笑い芸人になりたくなったこと? 『SCHOOL OF LOCK!』を聴いて邦楽に目覚めたことも、mixiで「足あと」を消し続けたことも全部、輝かしいガラクタだ。 でもその中で一番、今の私に結びついていること。それはブログだと思う。 平成18年、私が初めてブログを開設した年。それは、私が文章を書くことを好きになった年でもある。というわけで最終回は、すべてのブログに愛と感謝を込めて、平成ブログ文化を振り返っていこうと思います。
「Yahoo!ブログ」は、中学生にとっての伊勢丹
自宅に1台パソコン、ひとり1台携帯電話、インターネット接続済み。それが当たり前になり始めたのはいつごろだろう。私の記憶だと、中学生になった平成18年(2006年)ごろには、みんながインターネットとつながっていた覚えがある。 10代がこぞって「前略プロフィール」を開設していたあのころ、その隣に鎮座していたカルチャーが「ブログ」だ。 私が最初に出会ったブログは「Yahoo!ブログ」だった。当時、学生手帳に挟む用(もしくは携帯の待ち受け画面用)の“画嬢”検索に勤しんでいた私は、より効率よく大量の画嬢を収集できる場所としてYahoo!ブログと出会ったのだ。あれはすごかった。 ・ディズニー系 ・邦楽系 ・部活系 などなど、ジャンルごとに記事が分けられているその場所は、中学生にとっての伊勢丹だった。マジでなんでもある。 夢中になって画嬢を検索しているうちに、あぁこれは「ブログ」なのかと気づき始めて、試しに誰かが書いたライブレポートを読んでみる。……何これ。めっちゃ楽しいじゃん! そこからは早かった。すぐにアカウントを作って、初めてのマイブログが爆誕! めくるめくブロガーライフの始まりである。 本当に、毎日書いていた。部活が終わって家に帰ったら真っ先にパソコンの前に座って。 もちろん今みたいに環境の整った場所じゃない。実家のリビングで、すぐそばにご飯を作るママがいる状態だ。背後に来られたと感じたらすぐにタブを切り替えて、どうにか何を書いているかバレないように気をつけながら、毎日、毎日。 あのころ私は、何をそんなに一生懸命書いていたんだろう。ほとんどのことは思い出せない。ただ、前略とか交換ノートと違って、誰も本当の私を知らないっていう状況に興奮していたんだと思う。 だってそんなの、あり得ないことだから。知らない人に何かを打ち明けるなんてこと、ほかにやり方ないじゃない? せっせと書いた。学校が退屈なこと。友達に話すのは少し恥ずかしい、熱い想い。バンドへの偏愛。本当に、何から何まで書いていたと思う。 その中でお友達もできた。ゲストブックやコメントで交流する同い年の女の子は、ペンフレンドのような、でもちょっとイマジナリーフレンドみたいな心地もあって、不思議な支えだった。