「老舗」とは何か 皇帝がお忍びで訪れた中国の料理店に学ぶ
【東方新報】北京市中心部の街・前門にあるシューマイ店「都一処」の起こりは、300年近く前の1738年に山西省(Shanxi)出身の王瑞福(Wang Ruifu)という人物が開いた小さな料理店だった。繁盛して4年後には2階建ての店に。さらに10年後の1752年の年末に迎えた客によって店の運命は大きく変わっていく。 年末の夕方ともなれば、ほとんどの店が扉を閉めて従業員も帰ってしまう。当然、客足も遠のく。だが、商売熱心な王は、まだ客が来るのではと粘っていた。すると、身なりのいい3人の客が入ってきた。さっそく2階に案内し、高級酒である「佛手露(薬酒)」と自家製の冷菜「糟肉」「涼肉」「馬蓮肉」で自らもてなした。 しばらくすると、酒を飲みながら料理を食べていた客の一人が「この店の名は何というのか」と聞いた。「このような小さな店に名前などありません」と王は謙遜した。店の外では大みそかに鳴らす爆竹が鳴り響いている。客は「こんな時間に都で店を開けているのはここだけだよ。都一処(都に一か所の意味)と呼ぶことにしよう」と言って、店を後にした。 王はさほど気に留めていなかったが、数日後に、数人の宦官(かんがん)が「都一処」と書かれた扁額(へんがく)を店に持ってきた。そして、こう言ったのである。 「この扁額は乾隆帝が下賜されたものである」 王は腰を抜かすほど驚いた。身なりのいい客だと思ったのは、清朝皇帝である乾隆帝その人だったのである。お忍びで北京の郊外を視察した帰り道に王の店に立ち寄ったという。乾隆帝に与えてもらった「都一処」の名は勤勉な創業者のエピソードとともに現在まで残り、店の繁盛を支えている。 中国語で老舗ブランドを意味する「老字号」といえば、この有名なエピソードが思い出される。ちなみに、都一処が人気メニューのシューマイを出すようになったのは、お忍び来店から100年ほど後になってからだというから、実際には乾隆帝は都一処のシューマイを食べていないことになる。 中国では、皇帝に命名してもらったり、店の名前を筆で書いてもらったりして知名度を上げた老舗ブランドは多い。日本でいうなら宮内庁御用達のようなものだろう。優れた商工業者にお墨付きを与える文化は、皇帝がいなくなった現代でも形を変えて存続しているようだ。 その一つが中国商務省によって優良な商工業者を認定するブランド「中華老字号」だ。現在、食品企業やレストランなどを中心に1000社余りが認定されているが、2023年11月には経営状態が悪化し、品質劣化が指摘された55社がブランドをはく奪され、73社が「半年以内の改善」を要求されている。 中華老字号ブランドであっても、伝統の上にあぐらをかき、オンライン販売への対応が遅れるなどして、3割程度の企業が赤字経営に陥っているという。経営難から従来の品質を維持することが難しくなっているブランドも多い。 今回、品質を保っているとしてブランド認定を維持した「都一処」前門店の呉華侠(Wu Huaxia)副経理は中国メディアの取材に対し、「老舗ブランドを維持していくのは簡単ではありません。伝統を継承しないと老舗ではなくなり、新しいものを創造しなければつぶれてしまいますから」と答えている。 清朝の最盛期を築いた乾隆帝は、伝統文化をこよなく愛し、骨董(こっとう)を集めた。同時に、当時の最新技術で作られた西洋時計のコレクションも残している。骨董から時計まで幅広い興味をもっていた乾隆帝が生きていたら、伝統の上にあぐらをかき、技術革新に乗り遅れた老舗ブランドにどんなアドバイスをしただろうか。(c)東方新報/AFPBB News ※「東方新報」は、1995年に日本で創刊された中国語の新聞です。