福井城下の変遷知る、九十九橋も着目 福井市立郷土歴史博物館
福井城下の成り立ちと半石半木の九十九橋に焦点を当てた企画展が、福井県福井市立郷土歴史博物館で開かれている。柴田勝家の居城「北庄城」から福井の城下町がどう形成されていったのか、各時代の城下絵図などをたどりながら紹介。藩札から見て取れる有力商人の移り変わりなども合わせて、古文書や写真計28点を並べ解説している。12月8日まで。 北庄城は1575年、織田信長により築城が命じられた。1601年から福井藩祖・結城秀康が北庄城を改修し城下町を整備。その後、北庄から福井への改称や藩の石高半減などを経て城下町が変遷していく。武家屋敷が減少し空き地が増え、松岡藩併合後には新たに屋敷ができている様子が絵図から見て取れる。柴田時代の北庄城下には、一乗谷などから商工業者や寺社が移住し発展していった。 秀康の北庄城改修では、本丸を堀と石垣で防御し、さらに当時流れていた河川を「百間堀」として利用した。当時の越前周辺には加賀藩の前田家や上方を拠点とする豊臣家があり、軍事的な備えのために大規模改修が必要だったとみられるという。秀康の家譜には、本丸と二ノ丸の設計や配置は父徳川家康が行ったという記述があり、家康が関与した可能性がある。 九十九橋は全長約160メートルで、南側が笏谷石、北側が木造という奇橋として知られていた。江戸時代には日本全国の名橋や奇橋を相撲の番付に見立ててた順位付けで東の関脇に選ばれており、高く評価されていた。展示の中では橋北詰に設置された常夜灯に着目。明治5年に落成し元福井藩主・松平春嶽が翌年に来福した際、観覧していることなどを説明している。 11月30日には学芸員によるギャラリートークがある。入館料は一般220円。