高杉真宙が作り上げた「最高の弟」…まひろを紫式部にしたもう一人の男・惟規を振り返る【光る君へ】
平安時代の長編小説『源氏物語』の作者・紫式部(ドラマでの名前はまひろ)の人生を、吉高由里子主演で描く大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。10月13日放送の第39回「とだえぬ絆」では、明るいムードでドラマを盛り上げたまひろの弟・藤原惟規が突然の退場。「紫式部」を作ったもう一人のキーパーソンとも言える惟規について、あらためて振り返ってみる。 【写真】最後の「ふ」は為時が書き足したという惟規の辞世の句 ■ 従五位下に出世した惟規だったが…第39回あらすじ まひろの娘・賢子(南沙良)が裳着を迎えることになり、藤原道長(柄本佑)よりお祝いの品が届けられたが、そこでまひろの弟・藤原惟規(高杉真宙)が、賢子の本当の父が道長であることを、父・為時(岸谷五朗)にバラしてしまう。その頃惟規は従五位下に出世し、為時も越後守に任命された。2人はそろって道長の元にお礼の挨拶に赴き、惟規は「姉を末永くよろしくお願いいたします」と、道長にひそかに念を押した。 賢子の裳着の儀を終えたあと、惟規はかつてまひろが裳着を迎えた頃、為時との仲が険悪だった思い出を語り、今はギクシャクしている賢子との仲も、きっとうまくいくと励ました。惟規は越後に向かう為時に同行するが、その道中で急な病に倒れ、越後で為時に見守られながら息を引き取る。まひろは「都に帰りたい」という意味の惟規の辞世の句を見て涙し、賢子はそんな母にそっと胸を貸すのだった・・・。
初登場は第2回、さまざまな場面でまひろをサポート
紫式部の弟・藤原惟規は、あまりにも偉大な姉の影に完全に隠れてしまっているが、「勅撰和歌集」に歌が選ばれるほど、和歌の才能に秀でた人物だった。また遺された逸話の数々から、姉と違って良くも悪くも軽やかな人物だったことがうかがえる。そんな惟規を『光る君へ』で演じたのが、くしくも主人公と同じ名前の高杉真宙(たかすぎ・まひろ)。実はこのコラムでは、惟規についてあまり深く言及したことがなかったのだが、この機会にそのキャラクターと、物語で果たした役割を振り返っておきたい。 高杉が本役で『光る君へ』に初登場したのは、第2回とかなり早い段階。この頃は今週の39回で惟規が振り返っていたように、まひろと為時が母・ちやは(国仲涼子)の死をめぐって冷戦状態の頃。このギッスギスの雰囲気を、家のなかを無邪気に駆け回る子犬のような空気感でなごませてくれた。当時は視聴者からも「アホの子」扱いされていたが、今週の惟規の口ぶりからすると、姉と父の両方からツッコまれることで2人の間をつなぐよう、考えて作り上げたキャラクターだったのかもしれない。 その後もまひろの下手な似顔絵を元に道長を探そうとするとか(しかも知らないうちにニアミスするという奇跡)、白居易の『新楽府』を紹介するとか、いろんな形でまひろをサポート。しかし一番の助けになったのは、第35回のなかで描かれ、今回の紀行でも紹介されていた、禁を破って斎院の女房に会いに行ったエピソードかもしれない。このときに惟規は「禁じられた恋ほど燃える」というようなことを言っていた記憶がある。 そしてこの第35回のときに執筆中だった「若紫」の帖から少しあとに、光る君が兄・朱雀帝に入内する予定だった政敵の姫・朧月夜と、まさに「禁じられた恋」を展開する「賢木」が執筆されるのだ。ドラマでは特に言及はなかったが、このときの惟規くんの状況と口ぶりが、この「賢木」の光る君と重なるように思えた。自分の周りに起こった印象的な出来事だけでなく、自分の黒歴史すら物語に落とし込むまひろなら、おそらくネタに採用したのではないだろうか。 そのエピソードを聞かされたとき、まひろが「そんな罰当たりなことをしたら早死にする」と忠告していたが、言霊というのは恐ろしいもので、惟規は父の越後行きに付き添っている最中に、わずか30代半ばで世を去ることになってしまった。くわしい死因までは史実には残っていないが、彼が「みやこには恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ」という辞世の句を遺したものの、最後の「ふ」が書けなくて、為時が書き足したという逸話が実際に伝えられている。