恋人を日本に残し、ヨーロッパを彷徨う「後期青春」物語(レビュー)
安西水丸さんの文章は、彼のイラストに似ている。 「ヘタうま」と呼ばれた水丸さんのイラストの線。小説の文体もまた、素朴派(ヘタうま)の範疇だと思う。しかしその決して流暢ではない、ぶつんぶつんと途切れる素朴なリズムが対象と程よい距離感を保ち、じつに心地よいのだ。暑苦しいことを何より嫌った著者の人柄が伝わってくる。 『1フランの月』は、1990年に出版された自伝的小説『手のひらのトークン』の続編である。前作が著者のニューヨーク修業時代の青春小説であるのに対し、今回刊行されたものは、ニューヨークを後にヨーロッパを彷徨う後期青春物語である。 なぜ後期青春かと言えば、恋人を日本に残し一人ヨーロッパを放浪する主人公に、帰国すれば否応なく大人の社会人として東京で生きてゆかなければいけないという覚悟を感じとるからだ。お気楽な欧州放浪記とは違い、この楽しい時間がもうすぐ失われることを知っている主人公の節度ある哀しみが魅力的な小説なのだ。 東京で離れて暮らす恋人へ送る手紙には、愛があふれている。そんなに大切な恋人なら、旅行なんか切り上げてさっさと帰国すればいいのに。と思うのは、私が女性だからなのだろう。男にはそれでも旅に出なくてはいけない理由があるのだ。古今東西そのような歌やらドラマがあふれているから、きっとそうなのだろう。 淡々とした主人公とは対照的に、彼が旅先で出会う人たちはみなアクが強く、読み手に強烈な印象を与える。安西水丸の傑作漫画集『普通の人々』に登場する怪しげで憎めない強烈な脇役たちに通じるものを、私は感じたのだった。 それが、安西水丸の視線なのだろう。彼はいつも「眺めて」いる。それは画家の習性なのかもしれない。風景にしろ出会った人にしろ、「美しい」「面白い」と感じはしてもそれ以上立ち入ったり感傷に浸ったりはしない。感情をあらわにしたくない、そのために、わざと素朴な線と言葉を用いる、実はとんでもない策士なのだ、と私は思う。 没後10年の記念出版でもあるこの本には、安西水丸の本業カラーイラストや旅の寄稿文も収録されていて、ファンにはたまらない。 読み終え、「そうだ水丸さんに感想を送らなきゃ」と思った次の瞬間彼がもう居ないことに気づき、愕然とした。改めて唯一無二の才能と魅力の人であった。 [レビュアー]柴門ふみ(漫画家) さいもん・ふみ 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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