マラソン五輪代表に内定 服部選手が会見(全文1)失敗が自分を強くしてくれた
勝敗を分けたポイントは?
NHK:NHKのクニタケです。おめでとうございます。気象条件が厳しい中で、集団に付けて、具体的にどこでスパートをかけようと思われたのか、先に中村選手とか出ましたけどもどういう思いで付いていったのか。それから後ろ、上り坂ですとか、いろんな条件が重なった中での2位だと思うんですけれども、勝敗を分けたポイント、なんだったと思いますか。 服部:40キロ過ぎぐらいで動けるのであれば動きたいと思っていました。ただ、中村さんに行かれてしまってそこで差が開いて、その差が結局ゴールまで縮まらなかったということになります。ただ、上りに関してはすごくずっと対策を練ってというか、対策をして自信を持って上り坂に入ることができたので、最後の最後まで諦めない気持ちは常に持って走っていました。 司会:ありがとうございます。では先ほどもあげていただきました男性の方お願いします。
五輪切符を手にした今、何を一番思い出すのか
共同通信:共同通信、【オカダ 00:26:46】と申します。おめでとうございます。先ほどもいろんなことを経験して、この東京オリンピックのスタート地点に立てるとおっしゃっていましたが、今、切符を手にして、どの思いが、どんなことを一番思い出されますか。 服部:一番思い出されるのは、今回のマラソンに関しては5月に盲腸をやってしまって、そこからのスタートだったので、とにかくまずは思いどおりに走ることができない中からのスタートだったので、そういうつらい経験というか、本当焦りとかもありましたけど、ほかはあと、マラソン。初マラソンだったりとか、あと失敗が自分を本当強くしてくれたのかなと思っています。 司会:ありがとうございます。続いてご質問ある方、挙手お願いします。では前方の男性の方お願いします。
坂対策を具体的に教えてほしい
記者2:フリーライターの【テラダ 00:27:51】です。おめでとうございます。2つ、まず1つは設楽悠太選手に、ほかの選手が付いていったら服部選手も付いていったのかどうかと、もう1つは先ほどおっしゃった坂対策というのを具体的にどういう対策、どういう練習をされたのでしょうか。 服部:悠太さんがハイペースで入っていって、ほかに付いていくのであればやはり自分も付いていかなければいけないのかなという気持ちではありました。ただ、誰もいかなくて、集団で走ったほうが力を使わないだろうっていうことで後ろに下がりました。山の対策に関しては、菅平などで40キロ走をやった次の日に、須坂の下から菅平まで上ったりだとか、箱根並みの上りを、40キロ走の次の日にやっていました。ああ、箱根の5区です。2区ではなくて5区です。 司会:ありがとうございます。続いてご質問ある方。では後方の男性の方、手をあげてらっしゃいます。マイクをお願いします。