【高級車ならぬ高旧車が流行中】一時代を築いたトヨタ・セルシオと日産シーマは国産高級車の文化遺産!
国産高級車を文化遺産として大切に乗ろうという動き
初代シーマに30年以上、大切に乗り続ける俳優の伊藤かずえさんが、日産で愛車を復元(リフレッシュ)したニュースが世間を賑わせたのはご存じのとおり。最近、1980年代から2000年代初頭にかけての国産高級車を文化遺産として大切に乗ろうという動きが広がっている。 【写真】一時代を築いたトヨタ・セルシオと日産シーマの歴代モデルを振り返り (55枚) それがトヨタ・センチュリーと日産プレジデントを頂点とする『高旧車』だ。その主役はトヨタのセルシオと日産のシーマで、ノーマルにこだわる人もいれば、当時流行したドレスアップアイテムを装着して、さりげなく他車との違いをアピールする人も多いようだ。 日本のパーソナルカーといえば、長年トヨタ・クラウンと日産セドリック/グロリアが頂上決戦を繰り広げてきたが、1988年、そのパワーバランスに異変が起きた。日産シーマの登場だ。 ポジション的には、クラウンのワイドボディに対抗するセド/グロの上級機種だが、独自デザインの伸びやかなスタイリングは輸入車を思わせ、パワートレインは強力。さらに、バブル経済の追い風を受けて、豪華絢爛な装備が満載。『いつかはクラウン』というキャッチフレーズが浸透するほどトヨタ優勢だった高級車市場を覆し、『シーマ現象』なる言葉が生まれるほどのヒット作となった。
セルシオがライバル視したのは欧米のプレミアムブランド
しかし、トヨタも黙って見過ごしてはいなかった。翌1989年、セルシオを発表したのだ。国外では高級車部門であるレクサスのフラッグシップとして販売するため、セルシオがライバル視したのは日本車ではなく、欧米のプレミアムブランドが擁する高級サルーンであった。 NVHなどの問題に発生源から対処する源流主義を掲げて、部品精度の段階からレベルアップが図られ、異次元の静粛性は世界の高級車のベンチマークになった。そのキモとなった1UZ-FE型V8は、欧州メーカーがエンジン開発の手本にしたと言われたほどだ。 その後、セルシオは3世代を数えたのち、2006年をもってレクサスLSと統合。一方のシーマは、3代目で海外展開された高級車部門であるインフィニティの最上位機種、Q45の兄弟車となるが、2010年に4代目が生産終了。2012年に車名は復活したものの、かつてのような存在感を示すことはできず、モデルチェンジすることなく2022年に姿を消した。 かつては憧れの高級車であり、エアロやローダウンサスを組んだ、いわゆるVIPカーカスタムのベース車としても人気を博したシーマとセルシオ。新車市場からその車名は消えたが、オリジナル派にもカスタム派にも、いまもって注目される日本の名車だ。ここからはその両車を振り返ってみたい。