「甲斐駒ヶ岳」で知られる南アルプス駒ヶ岳 山頂に「東駒ヶ岳」の標識設置 伊那市側の名称、登山ルート200年記念で
伊那市は28日、同市と山梨県北杜市にまたがる南アルプス駒ケ岳(2967メートル)の頂上に、この山の伊那市側の呼び名「東駒ケ岳」を記した標識を設置した。山梨側の呼び名「甲斐駒ケ岳」の方が一般に知られている中で、伊那市側から駒ケ岳への登山ルートが開かれて今年で200年となることを記念した事業として実施。同日、市職員らが標識を山頂まで運んだ。 【写真】伊那市側の名称「東駒ヶ岳」を記した標識
文献資料などによると、南ア駒ケ岳は1816(文化13)年、現在の茅野市出身で修験道の行者、小尾権三郎(1796~1819年)が山梨県側から開山。1824(文政7)年には、権三郎の遺志を継いだ諏訪地方の人々が、黒河内村(現伊那市長谷黒河内)の山奉行の協力を受け、伊那市側から開山した。
この日は伊那市の白鳥孝市長と市職員、北杜市観光課の山田真二課長ら計約20人が、午前5時半ごろから2グループに分かれて伊那市・山梨県南アルプス市境の北沢峠を出発。伊那市南アルプス課職員2人、地域おこし協力隊員1人の計3人は、縦55センチ、横1・1メートル、重さ10キロ余りの「東駒ケ岳」の標識を順番に担いで登った。断続的に雨が降るあいにくの天候の中、午前10時半までに全員が登頂した。
白鳥市長らは山頂に着くと早速、標識を設置。標識の支柱には「古くから伊那谷の人たちは、西にある中央アルプスの駒ケ岳を『西駒ケ岳』、東にある南アルプスの駒ケ岳を『東駒ケ岳』と呼びならわしてきました」などの解説を載せたプレートを付けた。
既存の「甲斐駒ケ岳」の標識も北杜市がこの日、新品に交換。「東駒ケ岳」と同じ支柱に背中合わせに取り付けた。「甲斐駒ケ岳」についても「彼(小尾権三郎)の興した駒ケ岳信仰は、弟子の行者たちによって受け継がれ、天下太平・五穀豊穣(ほうじょう)・家内安全を願って各地から登拝されるようになりました」などの説明のプレートを付けた。
白鳥市長は「東駒ケ岳の名前を多くの人に知ってもらう機会になればいい」。山田課長も「それぞれの地域の愛称を尊重していきたい」と話していた。