「確かに母はそういう人だった…」温厚なはずの父が認知症の母に「死にたいなら死ね!」と叫んだ本当の理由
あとから気づいた父の真意
悩みつつ映像を見返した私は、あることに気づきました。現場では「死にたいなら死ね!」に気を取られて印象に残らなかったのですが、父はしきりに母に「感謝して暮らせ」と繰り返していたのです。 「ちっとは感謝して暮らせ。みんな良うしてくれよるじゃないか。おまえは『ありがとう』の心が持たれんようになったんか」 ハッとしました。実はそう言われた母こそが、今まで何より「感謝」を大切に生きてきた人だったからです。 私が幼少時から母に一番しつけられてきたのは「人に感謝すること」でした。 母は口を酸っぱくして言ったものです。 「あんたが今こうしておられるのは、決してあんた一人の力じゃないんよ。周りの人のおかげなの。だから感謝の気持ちを忘れたらだめ。いつも『ありがとう』の気持ちを持って人に接しなさい」 ああ、確かに母はそういう人だった! 母の一番良いところが失われそうになるのを、父は必死で食い止めようとしていたんだ……。 この頃母は、ケアマネジャーさんやヘルパーさんに助けてもらいながら生活していました。父は「その人らへの感謝の気持ちを、おまえは何で持たれんようになったんじゃ? そうな人間じゃなかったろう?」と一生懸命訴えていたのです。 父は母を、物忘れをしたり家事をやらなくなったという理由で怒ったことは一度もありません。そんなのは自分が補えばいい、と思っているからです。でも、母の一番の美点が失われることには我慢ができなかったのではないでしょうか。それこそが、父の愛した母そのものだから……。
私は真剣に母に向き合えているだろうか
胸にずしりと来ました。認知症になったからといって、父は母という人を諦めていないんだ。大切な存在として向き合っているからこそ、母のために出た言葉なんだ。 振り返って私はどうだろう? 私は父ほど真剣に、母に向き合えているだろうか? 「私は邪魔になるけん、もう死にたい」 母が初めてそう言い出した時にはさすがにショックでしたが、この頃にはもう母の暴言にも慣れてしまって、正直「また始まった」としか思っていませんでした。 「まあまあそう言わずに。誰も邪魔になんかしとらんよ」 映像には、やさしげに母をなだめる私の声も入っています。でもその裏からは、私の心の声が聞こえてくるようです。
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