2人の兄の亡くなったあの日のこと、災害後に生まれた8歳の娘に伝えた母 「知らないもの」になってしまわないように 広島土砂災害10年
どうしてお兄ちゃんは死んだの―。真っすぐな瞳で聞かれても、ずっとはぐらかしてきた。悲しみと後悔がない交ぜになって。でも、このままだとあの災害は「知らないもの」になってしまう。2014年8月の広島土砂災害で幼い息子2人を失った広島市安佐南区山本の平野朋美さん(47)は今夏、災害後に生まれた娘に初めてその事実を伝えた。 【写真】広島土砂災害10年、亡き人思い各地で祈り(計14枚) あの日から10年を迎えた20日、平野さんは長女の菜月希(なつき)さん(8)と被災後に再建した自宅で過ごした。リビングには、亡くなった長男遥大(はると)さん=当時(11)=と三男都翔(とわ)ちゃん=同(2)=の遺影や大好きだった絵本が並ぶ。 遺影を見つめる平野さんが「遥大は誰とでも仲良し。なっちゃんはそんなところが一緒。笑った顔は都翔にそっくり」と語ると、菜月希さんはうれしそうにはにかんだ。 あの日未明、家族5人で暮らしていた自宅の裏山が崩れた。大量の土砂や巨木が1階に流れ込み、山側の部屋にいた2人の命が奪われた。 平野さんは夫と支え合いながら、生き残った次男(19)と菜月希さんを育ててきた。家族の被災については誰にも話す気持ちになれなかった。しかし月日が過ぎる中、「この地での災害を知らない人がだんだん増えている」と感じるようになった。そんな思いから友人たちと一緒に、菜月希さんをモデルにした防災の紙芝居を作りもしたが、本人には兄が亡くなった理由を話せずにいた。 今夏、地元の子ども会主催の防災勉強会の一環で、母娘は広島市豪雨災害伝承館(同区八木)を訪れた。そこで平野さんは初めて、子どもたちに「わが家の被災」を語った。ほかの子と一緒に聞いた菜月希さん。「遥大と都翔がなんで死んだのか分かった」。帰り道、そうつぶやいた。 平野さんはこの夏休み、菜月希さんと地元の防災行事に出向き、自然の脅威や人と助け合う大切さを語り合った。「2人を救えなかった悔しさはずっと消えない。その思いも含め、命を守るためにすべきことを伝えていきたい」
中国新聞社