セイラムの「魔女裁判」とは何だったのか、集団ヒステリーによる告発合戦が招いた惨劇の真相
16カ月間で30人が有罪、19人が処刑された 17世紀米国でなぜこんなことが?
植民地時代の米国でピューリタン(清教徒)のコミュニティーを大混乱に陥れたセイラムの魔女裁判では、1692年2月から1693年5月までの16カ月間に約200人が魔女として告発された。その大半が女性で、30人が有罪となり、19人が処刑された。なぜこんなことが起きたのだろう? ギャラリー:セイラムの「魔女裁判」、告発合戦が招いた惨劇 画像4点 米マサチューセッツ大学ローウェル校の英文学教授で歴史的な魔女裁判についての著作があるブリジット・M・マーシャル氏は、「もちろん、当時のセイラムに、とんがり帽子をかぶって大釜をかき混ぜたり呪文を唱えたりする緑色の顔の女性はいませんでした」と言う。 セイラムが属するマサチューセッツ湾植民地には、ピューリタンの入植者と、この地域の先住民と、奴隷として連れてこられたアフリカ人が隣り合って暮らしていた。 そこにウィリアム王戦争(1689~97年に北米植民地で起きた英国とフランスとの戦争)によってニューヨークやカナダから逃れてきた難民が流入してくると、セイラムの資源は逼迫し、村人と宗教的指導者や政府指導者との関係は悪化した。なかでも村が雇っていたサミュエル・パリス牧師は、厳格で正統的な考え方と給与をめぐるいざこざにより、村人と激しく対立していた。
最初の告発は2人の少女
事件は1692年1月に起こった。パリス牧師の9歳の娘エリザベスと11歳の姪アビゲイル・ウィリアムズが、占い遊びをした後に「発作」を起こしたのだ。コップの水の中に卵白を落とし、その形から将来の夫の職業を解釈するという占い遊びだったが、ピューリタンの教義では邪悪とされていた。 コップの1つに棺のような形を見た少女たちは、異常な行動をとりはじめた。犬が吠えるような奇声をあげたり、泣いたり、床に倒れて痙攣(けいれん)したりした。 2人を診察した医師は、少女たちが「邪悪な手に捉えられている」と診断した。つまり、魔女の呪いにより、悪魔に取り憑かれているというのだ。当時の法律では魔術や悪魔との関わりは犯罪行為とされていたため、少女たちの行動はたちまち法律問題へと発展した。 詰問された少女たちは、「ティチュバが自分たちに魔術をかけた」と言った。ティチュバはパリス牧師が所有する奴隷の女性で、占い遊びには関与していなかった。しかし、少女たちが悪魔に取り憑かれていると信じ、その治療のために尿とライ麦で「魔女のケーキ」を作って食べさせていた。 そのことを知ったパリス牧師は、激怒して彼女を殴りつけた。怯えたティチュバは、自分は悪魔の手下で、魔術を使ったと「自白」した。 「当時は極端な階級社会で、人々は多くのストレスを抱え、さまざまな問題の責任をなすりつけるスケープゴートを探していました」とマーシャル氏は言う。「社会で最も下の階級と見なされていた奴隷のティチュバは、格好の標的だったのです」 少女たちは、近隣住民から身持ちが悪いと非難されていたサラ・オズボーンと、貧しい嫌われ者一家のサラ・グッドにも罪をなすりつけた。3人はすぐに魔女として正式に告発され、投獄され、裁判にかけられた。