セイラムの「魔女裁判」とは何だったのか、集団ヒステリーによる告発合戦が招いた惨劇の真相
魔女裁判の余波
マーシャル氏によると、告発された人々のうち最終的に有罪判決を受けたのは「ごく一部だった」という。けれども、被告人のうち、5人が獄中で死亡した。 生きて釈放された人々も、名誉を傷つけられた。なかには教会から破門された人もいて、その多くが長年にわたって名誉回復のための戦いを強いられた。資産を没収されたり、高額な収監費用を負担させられたりして、経済的にも大きな打撃を受けた。 ティチュバのように、コミュニティー内でさらに疎外された人々もいた。彼女は最終的に証言を撤回したが、匿名の支援者が保釈金を支払ってくれるまで13カ月間も刑務所に収監されていた。そして、彼女に対する補償は行われなかった。 ピューリタンのコットン・マザー牧師などの著名な魔女裁判反対派が公の場で反対の立場を表明したこともあり、セイラムの魔女裁判は1693年に沈静化した。 セイラムは今日、オカルト好きに人気の観光地となっている。しかし、この街が魔女裁判の犠牲者に対して自分たちの罪を認めるまでには何世紀もかかった。マサチューセッツ州当局が魔女裁判について謝罪を始めたのは1957年になってからで、エリザベス・ジョンソン・ジュニアがセイラム魔女裁判で有罪とされた人々の中で最後に無罪を認められたのは2022年のことである。 2017年には、魔女裁判で有罪とされた人々の絞首刑が行われた場所に記念碑が建立された。森に囲まれたこの記念碑は、絞首刑になった19人の犠牲者の名前が刻まれたシンプルな壁からできている。 この記念碑は私たちに、セイラムの魔女狩りの真っただ中にいた真の犠牲者について、人数や憶測に惑わされず、静かに考えるように促している。彼らは、疎外され、隣人に殺意を向けられて苦しんだ人々だった。
文=Erin Blakemore/訳=三枝小夜子