なぜ「硫黄島」に渡ることは難しいのか…多くの人が知らない「大きな困難」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
厚労省はけんもほろろ「無理じゃないですか」
遺骨収集団参加に向けて僕が最初に訪れたのは、この事業の元締めである厚生労働省の社会・援護局だ。 「滑走路下 初の遺骨 2柱発見」の取材を通じて懇意になった担当者に相談した。取材の際、記事執筆に必要な情報を何でも提供してくれた人だったが「参加は無理じゃないですか」と、けんもほろろだった。 僕が「しかし、2012年に毎日新聞さんが参加した前例がありますよね」と食い下がると、次のような理由を述べた。 「2012年は、野党時代から硫黄島の遺骨収集の推進を訴え続けてきた菅直人元首相の旗振りのもと、遺骨収集の派遣回数が大幅に増え、遺族や生還者、旧島民以外にも大勢の一般人が参加した時期でした。このとき参加した心ない一般人が戦没者遺骨の画像をインターネット上に流すなどして遺族の方々の感情を傷つけ、問題化した。自衛隊側も、軍事マニアなど遺骨収集以外を目的とした人が渡ってくることへの懸念を抱きました。こうした経過により団員選定はハードルが上がった。報道関係者はこのハードルを超えられないでしょう」 取り付く島もない。そんな言い方だった。 荒波は高い。しかし、舵を切るべき方向は分かった。 僕は報道関係者である前に、父島兵士の孫だ。硫黄島の兵士から「父島ノ皆サン サヨウナラ」との電報が送られた側の兵士の子孫だ。その電報を心に刻んだ僕が島に渡って骨を拾うことは、兵隊さんたちの慰めにもなるのではないか。今後はそのようにしっかり説明しようと思った。 東京の都心から硫黄島まで1200キロ。僕は前進を諦めなかった。栗原さんの助言を守った。霞が関がだめなら、次は永田町だ。 遺骨収集問題に長年関わる国会議員や、「厚労族」と呼ばれる議員に相談した。そのうちの一人は「思いは分かりました。覚えておきます」と前向きな返答をしてくれた。しかし、その後、連絡はなかった。 つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。
酒井 聡平(北海道新聞記者)