転校を機に出会った「熱くなれる」アメフト、関東1部TOP8チームの目に留まり、大学でもマネージャー業へ
仲間が祝ってくれた夏合宿最終日の誕生日
塩満は1年生の10月に京都両洋へ転校してきた。当初は「帰宅部」だったが、2年生になるとアメフト部副顧問の中村寅彦先生が担任に。先生や同じクラスのアメフト部員である山本就亮(しゅうすけ)と禮場紫苑(れいば・しおん)にも誘われ、夏休み前に入部することになった。 彼女にとって初めての公式戦は、昨秋の同志社国際戦だった。何も分からず、水が入ったボトルを選手に渡すのが精いっぱいだった。7-14で負けた。先輩のマネージャーが大泣きしていた。彼女は「なんで泣いてはるんやろ」と思ったそうだ。次の龍谷大平安戦は勝ったが、のちにクリスマスボウルを制する立命館宇治には大敗。引退が決まった先輩は、また号泣していた。そのとき塩満の心に「こんなに熱くなれるスポーツなんや」との感情が湧いてきた。 塩満の代が最上級生になった。同期の仲間とごはんを食べに行った。キャプテンになる梅垣圭佑が「このチームを俺らの代で強くする」と言いきった。その言葉にみんなが盛り上がった。彼女もここから一気にアメフトの世界へ入り込んでいった。梅垣と副キャプテンの平野万太郎、安東淳志、塩満の4人で頻繁に話し合い、最後まで走り負けないチームになるため、アップの段階から疲れるような練習内容にした。 春のシーズンが始まった。試合が終わるごとに、2年生QBの福井が「琴さん、いつもありがとう」と言ってくれるようになった。そのひとことが、何よりのモチベーションになった。どんどんウォリアーズにのめり込んでいった。5泊6日で毎日が3部練という鬼のような夏合宿では、午前4時半にグラウンドに現れ、夜は部員に出来上がった洗濯物を届けるところまでやった。最終日は塩満の18歳の誕生日だった。みんながサプライズで祝ってくれたが、5日間フル稼働だった彼女は高熱を出して部屋に戻ったそうだ。恥ずかしそうに振り返ってくれた。
関東1部TOP8チームの目に留まり、推薦入学へ
彼女と合宿の話をしていると、私自身の高校時代の記憶が蘇ってきた。2年生の夏合宿。朝から晩までアメフト尽くしで迎えた最終日、顧問の先生が頑張った人に贈る「プライズシール」を私たちマネージャーにくれた。そのシールは愛用のパソコンに貼ってあり、見るたびに当時のうれしさを思い出している。 高校最後のシーズンとなるこの秋、ウォリアーズは初めて1大会で2勝を挙げ、京都で2位になった。全国大会には届かなかったが、新たな一歩は刻めた。水野HCは塩満を「常に燃えている。自分のやるべきことがよく見えてますよ」と評する。木戸監督は「自然と鬼気迫る表情になるほどアメフトに打ち込んできました」。副キャプテンの平野は「選手のために動けるマネージャーです」と話す。 関東大学リーグ1部TOP8に所属する大学の監督が選手の勧誘のため、京都両洋の練習を見に来たことがあった。実際にその監督が目を留めたのは選手ではなく、選手たちに「ハリー、ハリー(急げ)」と叫びまくるマネージャーの塩満だった。そこから話が進んでいき、塩満はその大学へマネージャーとして推薦入学することになった。 アメフトは準備のスポーツ。塩満はもう春からの日々に向けて準備している。試合のビデオ撮影をしたことがないため、試合の動画を見ながらシチュエーションを口に出して言ったり、撮り方をイメージしたり。プレー分析の役割も加わってくるため、進学先の秋シーズンの試合はすべてチェック。関西の大学の試合会場にも足を運んできた。ときには水野HCの隣に座り、次はどんなプレーが来るかといった話を1試合通じて聞いた。