田中裕子 富士山での映画撮影で「霧待ち」した思い出 “念願の瞬間”到来に監督が発した言葉
女優の田中裕子(69)が9日、都内で行われた映画「本心」(監督石井裕也)の公開舞台あいさつに出席。かつて出演した映画の撮影時の思い出を語った。 原作を読んだ主演の池松壮亮が、石井監督に「この原作が素晴らしい読んでほしい」と提案したことをきっかけに映画化が実現。田中は、池松演じる主人公・石川朔也に黙って「自由死」を選び、死後にヴァーチャルフィギュア(VF)として復活する母・秋子を演じた。 1979年にデビューし、数々の作品に出演してきた田中。映画づくりの現場の変遷を振り返り「自分で変えたこと、変えられたことはない」と語った。 過去には「一つのシーンを撮るのに、2日ぐらいかけたりすることもあった」という。吉田喜重監督で1988年に公開された映画「嵐が丘」で、男性が山門で倒れて死ぬ場面を撮影した際のこと。「富士山の中腹ぐらいの原っぱに山門立てて、朝暗い中からみんな、かつら、衣装全部着て、霧がやってくるのはいつなんだと。でも、いつ来るか分からないので、いい霧が流れるのをずっと待っていた」という。 1日目は断念も、2日目に念願の瞬間が訪れた。演者も演技に熱が入り、「(カットまで)ついつい長くなってしまうんですよ…。そうしたら“早く死になさい!”と吉田監督がおっしゃたのが、おかしかったというか…。覚えています」と笑みを浮かべた。 特殊効果の技術など使用せず、自然に任せた当時の撮影。石井監督が「憧れですよ。今、霧がないと言ったらVFXで出しましょうという…。技術的には可能なんですけど、そこからこぼれ落ちるものづくりへの思いというものがきっとある」と語ると、田中は大きくうなずいていた。