「20世紀最後の大型新人」shelaが22年ぶりにワンマンライブ――復活までの紆余曲折と手に入れた“新たな強さ”
一人息子も後押しに…手作りプレゼントで励まされる
実はこの背景には、一人息子からの支えもあった。YouTubeチャンネルの登録者数が1万人に到達しようとしていた時、「息子が、“1万人になったら渡そう”と、段ボールで手作りした“銀の盾”と、たくさんのユニークな折り紙をいっぱい折って、私にプレゼントしてくれたんです。9,500人くらいになった頃から、こっそりと作ってくれていたみたいで、『やっと渡せるわ!』と言って」 「でも銀の盾って10万人じゃない?」「ママまだ時間かかりそうだからさっ…」という会話もありながら、ライブをするにあたって「大変そうだけど頑張ってね」「そうなんだ、こうしたらいいんじゃない?」などとshelaを励まし続けてきた。そんな息子の存在も「大きかった」と述懐する。
■ステージから見えた景色――「心の中は大号泣でした」 そしてライブ本番。「ステージに出た瞬間に『shela!』っていう呼び声で『ウッ』ってなっちゃったんですよ。マイクを持ってる自分の前にファンの人がいて曲がかかっている。またこうやって名前を呼んでくれる瞬間がくるなんて……そのシチュエーション自体、今私のいる環境からしたら想像もできないことだし、もうそんな日なんて来ないなって思ってたことだったので、目の前から『shela』って言われるひと言で泣きそうになって。もうダメかもって思ったんですけど、絶対泣かずに歌いたいって決めてたんで。 しくしく泣いてみんなありがとうっていうようなライブには絶対したくないって思ってたし、お金を頂いてライブをするということ自体、当時からなかったんですよね。シークレットライブとかスポンサーがついて抽選で招待しますとかで。だから、今回お金を頂いて歌わせていただくということで、当時の歌をみんなにちゃんと届けなきゃいけないという思いで歌わせていただいたんですけど、ステージに立った時に、当時と同じ人が目の前にいたんですよ。いつも私のライブのときに必ず目の前で見てくださるファンの方たちが。 それを見たときに心の中は大号泣でした。またこうやって来て聴いてくれてるという、現実なのか夢なのか…そういう瞬間でした。当時と変わらず一番前で私のことを見守ってくれてる、で歌を聴いてくれているというのがすごく伝わってきて。『待ってくれていたファンの方々に心から歌を届けよう』という思いで歌っている自分がいました」 このライブの大成功は、3月30日に開催される次のライブへとつながった。ニセモノの登場から始まり、YouTubeの開設。そこで逆にファンから励まされ、ネガティブがポジティブへと変化し、そしてライブ、さらには次のステージへ。 この20年で、人としても、母としても、そして一表現者としても成長を続けてきたshela。歌で人を支えるだけでなく、ファンから支えられていることも知った彼女はここに来て、さらなる“強み”を身に着けた。――ここで終わらせるな、絶望に染まるな。運命に爪を立てて、もがき続けろ。あらがえ──! 彼女の言葉を聞きながら、そんな言葉が頭を巡ったのだった。
■ 衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。
衣輪晋一