教育熱心、でも倹約家だった両親 野菜は自給自足でカステラは1センチごと、カルピスにも印 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<4>
小学5年生のときです。最初のお店は郊外にあり、配達は50軒ほどで月給4000円くらい。でも一軒一軒が離れてて、時間がかかるんですよ。一番イヤなのはお寺さん。階段があって「同じ1部なのになんで登んなくちゃなんねえの」って。雨の日は特に大変で、4カ月ほどで別のお店に移りました。
次のお店は月給7000円で、140軒と倍以上。だけど駅前なので配達範囲は広くはなく、旅館で10部とかもある。苦手の寺もない。自転車に積む部数が2倍以上になって行きはかなり重いのですが、真剣にやりました。時給がいいうえ、映画の無料券ももらえたんで。
それが忘れもしない年末年始。大みそかの配達を終えた僕に、店長さんが「石田くん、明日はちょっと早く、午前4時に来てね」って言う。いつもは5時半か6時で、「お正月にそんなに早く誰が来るんだ」と考え、5時半に行ったら驚いた。配る新聞の山がいつもの5倍はある。「どうなっちゃってるんですか?」。初めてだったんで、お正月は別冊も配らなければいけないことを知らなかったんです。「早く来て」の意味はこれだったのか…。
無理していつもの倍くらい積んで配りに出た。福島のお正月ですから、雪は積もりませんが路面は凍っている。慣れてはいるのですが、いつもの重さでないから自転車は滑り、新聞ごと転倒です。8時くらいになると今度は路面がびちゃびちゃに。正月早々、お客さまにびちゃびちゃな新聞を配ってしまった。当然クレームの嵐で、店長さんは「もう来なくていい」と。小学生のときから、お金稼ぎの厳しさを体験していました。(聞き手 大野正利)