年間で休みは片手で数えられる程度!? 超多忙な日々を過ごすQuizKnock・伊沢拓司さんの「休み方」とは――?
---------- 「休日、何もしていないのに気づけば夕方になっている」「全然休めた気がしないまま、月曜の朝を迎えてしまう」そんなワークライフ“アン”バランスなあなたに贈る、豪華執筆陣による「休み方」の処方箋的エッセイ・アンソロジー『休むヒント。』が好評発売中! その中から、QuizKnockの伊沢拓司さんの一篇を特別に大公開! 超多忙な日々を送る伊沢さんにとっての「休み」とは――? ----------
すべてを明け渡す
「お金で時間を買い、時間で経験を買う」。これが長らく、私の行動哲学だった。 お金は稼げさえすればいつでも得られて、過去に失ったものを取り戻すのも比較的容易だ。時間はつねに一定量が供給されるが、過去は戻ってこない。経験は一度の機会を逃すともう二度と得られないかもしれない。ゆえに、お金より時間を、時間より経験を得ることを優先してきた。バイトに明け暮れた学生時代、生活のために時間でお金を買っていた自分にとって、この指針は究極の贅沢であり優越であった。 しかし、いつしかそれは呪いへと変わった。「仕事をすれば、時間で経験を買い、かつ時間を買うためのお金も得られるじゃん」。悪魔の囁きはいつだって理にかなっていて、仕事ばかりを優先する魔のループが完成していた。 たしかに、多くの仕事を通して他の人ができない経験を沢山させてもらった。それが嬉しくて、時間をひたすら経験のために使った。お金で作った時間に予定を詰め込み、空けた時間にまた詰め込み……20代も後半に差し掛かる頃には、年間の休みが片手で数えられる程度になっていた。 ここまでくると、休むこと自体への恐怖が芽生えてくる。休むと、より休みたくなるからだ。高校時代、ズルズルと遅刻欠席を繰り返していた自分のことは、誰よりも自分が知っていた。予定が空けば、仕事を入れる。なくても自分で作り出す。止まることを恐れていたら、知らず知らずのうちに仕事をしつづけるだけの最強永久機関が完成していた。 「休み方を忘れているな」と気づいたのは去年か今年のことだ。突然収録が中止になることが何回か続いた折、空白の一日に対して感じたのは喜びよりもむしろ焦りであったのだ。 必死で休みらしいことをした。図書館に行ったり、運動をしたり、仲間を集めてクイズをしたり。とはいえ、急な休みだからなかなか上手くはことを運べない。「折角の休みなんだからうまく使いたい」という切迫感。ジリジリと心が追い立てられた結果、いつも夕方には溜まった仕事に手を出していた。なにせこれが落ち着くのだ。「また休みたくなる気持ち」と「休みを有効活用できなかった後悔」を一挙に解決できてスッキリする。自分で自分を持て余す、まったくの本末転倒。わかってはいるのだが、心身良好だったこともありこのループからは抜け出せなかった。 かつて夏目漱石は、修善寺にて突如大病を患い、自らの死生観を改めるに至ったという。それになぞらえるのはおこがましいのだが、私に転換をもたらしてくれたのもまた、修善寺の地だった。 泊りがけの仕事を終えてのランチ。当地に詳しい知人が、「自分も初めて行くんだけれど」と前置きしてレストランをアテンドしてくれた。 その店「羅漢」は、古くてこぢんまりとした、山あいの一軒家だった。まわりには何もない。いや、正確には田畑があり、川があり、美しい桜の木があったのだが、それに気づいたのは料理が出てきてからだった。 この家を一人で守る女将さんは、一品ごとに別の部屋へと私達をいざなった。移動先には料理が用意されており、案内を終えると調理へと戻る。必然、時間はかかる。一品につき30分。前日から一緒にいたメンバーだったこともあり、すぐに会話は尽きた。 ただただ女将さんの考えるままに動き、静かに食べる。この先がどうなるのか、いつまで続くのかもわからない、強制的な休みだ。自分の主導権を他人に渡したのは、なんだかとても久しぶりな気がした。 いつものような焦りがなかったわけではない。でも、落ち着きなのか諦めなのか、今を楽しむしかない状況を受け入れていくにつれ、感覚が鋭くなっていく自分に気づいた。 せせらぎと、戸をきしませる風の音が、耳に入ってくるすべてだった。目の前には、畑の野菜を使った創作料理。手折られた桜の小枝が皿を彩る。古民家の柱は、太さも色もそれぞれ違う。囲炉裏の火は時とともに変化していく。器の一つ一つが、その料理のためとしか思えないお誂え向きのデザインだった。 料理に、器に、建物に思いを馳せる時、だんだんとこの店の持つ奥行きが感じられていく。山も川も、周囲にあるものはみなこの店の一部であった。 最後のお茶菓子をいただいた頃には、時計は16時を回っていた。滞在時間は締めて4時間。完全な想定外である。メンバーはみな、食事の合間にいそいそとリモート会議をリスケしていた。でも、どれだけ時間がかかっても、今この時を止めたくはなかった。 古民家の中で流れる時間、そこに至るまでに、女将さんが、建物が、自然が刻んだ時間。今ここにあるものを楽しみ、過去へ未来へと思いを馳せる。想像が、空間と時間をより豊かなものへと変えていった。何かを理解したかったわけじゃない、何かを得たかったわけでもない。ただそこにあるものが、それだけで美しくて、それで十分によかった。 それからというもの、困ったことに、私は休み方を覚えてしまった。カレンダーに「仕事を入れない日」をポツポツと加えていった。まったくもって営業妨害である。 夏の北海道。ある日は野付半島、ある日はサロマ湖に向かい、誰もいない砂嘴を一人歩いた。オジロワシが、打ち捨てられたコンクリートに止まる。重厚感のある翼の音。目を合わせないようにして、その佇まいを眺めていた。何を見たいわけではないけれど、何か見えてくるような気がする。ゆっくりと鋭敏になっていく感性そのままに、起こることをゆったりそのまま受け止めた。たとえワシがそこに留まり続け、微動だにしなかったとしても、それはそれで良いのだ。 自分の主導権を、何か他のものに明け渡す休み方。お金と時間と経験がどのように交換されるか、もはや自分では決められなくなる。それでも、本当に自分では何もしない。それが今は楽しいのだ。 もしかしたら私は、危ない扉を開けてしまったのかもしれない。案の定、また休みを取りたくなってしまった。 ---------- 伊沢拓司(いざわ・たくし) 1994年生まれ。東京大学経済学部卒業。『全国高等学校クイズ選手権』で史上初の個人2連覇を達成。2016年に東大発の知識集団・QuizKnockを立ち上げ、現在YouTubeチャンネルは登録者数219万人を突破。2019年に株式会社QuizKnockを設立し、CEOに就任。『東大王』『アイ・アム・冒険王』などのテレビ番組に出演するほか、全国の学校を無償で訪問するプロジェクト「QK GO」を行うなど、幅広く活動中。 ----------
伊沢 拓司(QuizKnock)