ライトノベルなどの「勇者」に変化? 『誰が勇者を殺したか』『葬送のフリーレン』が示す新たな勇者像
ファンタジーの世界にあって、強さの象徴ともいえる存在が勇者だ。行く手を阻むモンスターどもをなぎ倒し、世界を脅かす魔王やドラゴンから人々を開放する英雄。そんな風に捉えられているが、最近はありがちな勇者像を広げたり、覆したりするような物語がいくつも現れ評判となっている。どのような勇者なのか。人気の理由はどこにあるのか。 『転生したらスライムだった件』のような人気シリーズの新刊や、『薬屋のひとりごと』をはじめとしたTVアニメ化作品が上位に並ぶことが多い楽天ブックスのライトノベル週間ランキングに、2週間連続でベスト10以内に入ったライトノベルが、9月29日発売の駄犬『誰が勇者を殺したか』(スニーカー文庫)だ。 元は小説投稿サイト「小説家になろう」に連載された作品で、同じようなネット発の異世界ファンタジーや、流行のラブコメ作品が並ぶラインアップの1冊として発売された。そのまま押し寄せる新刊の波に流されていくのかと思いきや、発売から1ヶ月ほど過ぎて口コミによる注目が集まり、ランキングに顔を出すまでになった。 4年前、魔王を倒して世界に平穏をもたらしたパーティがいた。剣聖レオン・ミュラー、聖女マリア・ローレン、賢者ソロン・バークレイ、そして勇者アレス・シュミットの4人で構成されていたパーティだったが、王都へと帰還した中に勇者アレスの姿はなく、仲間たちは口を揃えて「勇者は死んだ」と証言した。 魔王を倒すほどの勇者がいったい、どのように死んだのか。その散り際についてパーティの誰もが、詳細については知らないと報告した。そして4年後、パーティの偉業を讃える文献を編纂する事業が立ち上がり、担当者がレオンやマリア、ソロンに改めて勇者について聞いて回ったが、やはり勇者の死の真相を語ろうとはしなかった。 なんともミステリアス。勇者の仲間の誰かが勇者を亡き者にした上で口裏を合わせているのではといった疑惑も浮かぶ。実際、魔王を倒した暁に、勇者は王国の王女と結婚することが決められていた。平民出身の勇者にそのような栄誉が与えられるのを貴族階級が嫌がって、暗殺したのかといった噂も広まっていた。 陰謀論すら浮かぶ謎に対して、アレスの偉業を編纂する事業という名目で、真相を明らかにしようと挑むのが、『誰が勇者を殺したか』の大まかなストーリーだ。そこには、アレスとは何者だったのかに迫るエピソードがあり、ミステリからファンタジー、そしてSFへと向かうような展開があって楽しめる。口コミで話題になっているのも、そうした謎解きの面白さと結末の心地よさ、そして全体の完成度が評価されているからだろう。 ここで注目したいのが、アレスという存在を勇者たらしめていたものについてだ。レオンやマリアやソロンの証言に含まれていた勇者の言動と、添えられるように綴られる、勇者を育成するファルム学院に入って来たアレスとの交流の描写から、アレスが圧倒的な才能を持った天才なり、預言者の託宣によって運命づけられた強者といった雰囲気ではなかったことが見えてくる。 レオンよりも剣の腕は劣っていた。マリアからはパンを買いに行くパシリとして使われていた。ソロンに魔法の力で遠く及ばなかった。そんなアレスが魔王を倒す勇者となれたのは、レオンに及ばなくても立ち上がって向かっていく執念があり、マリアにイジられても修行と思って美味しいスイーツの店を探す敬虔さがあり、ソロンほど魔法の力は強くなくても使いどころを工夫する知略があったから。そして何より自分は勇者にならなくてはいけないという、強い思いがあったからだ。 勇者とは勇者だからこそ勇者になるのだ。そんな定式に挑むような、アレスの何者でもない場所から勇者へと駆け上っていく道筋に触れることで、はじめから別格の存在なのだといった勇者に対する印象が変わってくる。『誰が勇者を殺したか』はその意味で、ポピュラーな勇者像を"殺す“小説だとも言える。 ありがちではない勇者像という意味で、山田鐘人原案・原作、アベツカサによる漫画『葬送のフリーレン』(小学館)に登場するヒンメルも、少し変わった勇者としての存在感を漂わせる。彼もアレスと同じように魔王を倒したパーティの一員だが、あまり最強といったイメージがない。千年を生きた魔法使いのフリーレンはもとより、パワーでは戦士アイゼン、治癒などの能力でも僧侶ハイターに及ばない、ただの優男にしか見えない。 それでも漫画の読者や、TVアニメ『葬送のフリーレン』を観ている人はヒンメルを勇者だと思う。ヒンメルこそが勇者だと感じる。アウラを退散させるくらいの活躍を見せたことも理由のひとつだろう。ヒンメルが行く先々で困っている人たちを助けて回り、尊敬されて各地に銅像が作られたこともありそうだ。 ただ、それよりもやはり、あのフリーレンが忘れられない存在として意識し続けていることの方に、勇者としての核のようなものがあるような気がしてならない。人間の常識から外れた言動を取りがちなフリーレンを仲間として大切に扱い、導くことによってその中に強くその存在感を残した。1000年の間にそのような人間などいなかったのだから、ヒンメルがどれだけすごいかが分かる。 そもそも、『葬送のフリーレン』という物語自体が、ヒンメルを"主人公"としたもののような気がする。フリーレンが旅を始めたのは、ヒンメルにもう一度会って声を聞きたいと考えたからだ。『葬送のフリーレン』というタイトルも、アウラを相手にした時に明かされたふたつ名としてだけではなく、ヒンメルの軌跡をたどる"葬送”の旅を描いたものだといったことも感じさせる。YOASOBIによるTVアニメの主題歌が「勇者」となっていること自体が、物語の中にあるそうした意図をくみ取ったからだろう。 先頭に立って魔王に向かい、剣を振るう姿を直接見せなくても良い。剛健を振るうような筋肉質の体躯だったり、運命に挑むような悲壮な表情を見せいたりしなくても構わない。歳を取って老いぼれた姿になってしまっても大丈夫。世界から必要とされていたことが銅像によって語り継がれ、あのフリーレンによって記憶され続ける存在だという状況が、ヒンメルこそが勇者なのだったと思わせてくれる。新しい勇者像を示すともに、そんな勇者を表現する方法でも、『葬送のフリーレン』はユニークな作品だ。 見渡せば、TVアニメのSeason3が放送中のアネコユサギ『盾の勇者の成り上がり』(MFブックス)に登場する岩谷尚文は、盾で守ることしかできないにも関わらず、仲間を巧みに使うことで攻撃力を持つようになって、世界を脅かす敵と戦っている。七尾ナナキの漫画で7月にTVアニメ化された『Helck』に登場するヘルクは、勇者として魔王と倒しながらも、その魔王となって人間を滅ぼそうと言い出す。枠にハマらない勇者たちが活躍し、心を捉える時代の中で、どのような勇者が登場してくるかが気になるところだ。
タニグチリウイチ