池袋暴走事故 遺族の松永拓也さん加害者と面会へ「事故防ぐ未来に向けた話を一緒に」
■全てを聞き終えたあと──「申し訳ない」
心情を伝えてからおよそ2週間後。刑務所から届いた書類には、松永さんのすべての質問に対する飯塚受刑者からの回答が記されていた。 ◇ Qあなたはどうすればこの事故を起こさずに済みましたか 「運転しないことが大事です」 Q高齢者として、どのような社会であれば事故を起こさずに済みましたか 「運転しないことです」 Q家族からどんな声かけがあれば、運転をやめようと思いましたか 「やめるように強く言われていたらやめていた」 ◇ 「運転しないこと」。高齢ドライバーだった飯塚受刑者は回答でこう繰り返し、松永さんからの面会の申し入れについては「わかりました」と受け入れる意思を示した。 飯塚受刑者に向き合った刑務所の職員によると、「言葉をつまらせる場面もあったが、松永さんの心情など全てを聞き終えた際、『申し訳ない』と述べた」という。 「真摯に回答してくれた」と受け止めた松永さん。 「彼の本当の言葉がこれなんだと思います。これまで彼は裁判をするのに自分を守る必要がありました。でも裁判が終わって利害がなくなったいま、真に人と人として対話できるようになった」 「初めて前向きに、未来の社会に向けての話ができるようになったと思います」
■「やっと真菜と莉子が愛してくれたお父さんとして生きていける」
事故から5年。 「交通の制度も人の意識も一気に全部変えることは無理だけれど、少しでも社会が良くなることに貢献できたかもと思えるようにはなりました」 松永さんはそう語る一方で、「真菜と莉子が帰ってこないむなしさは変わらない」と表情を曇らせる。毎年命日の4月19日が近づくと、気分の浮き沈みが激しくなるという。 それでも「自分が経験を語ることで事故を防いでいけるかもという希望はなくさず生きていきたい」と話す。「もう自分にはそれしか救いがない」との思いもある。 「刑事裁判のときは記者会見で私、『鬼になる』と言ったんです。本当は真菜と莉子にはあんな怖い顔見られたくなかったけど、でも闘わなくてはいけない、罪を認めてほしいと自分のなかで葛藤して」 しかし、裁判が終わり、飯塚受刑者が真実に向き合う姿勢を初めて感じられたという今は。 「お父さんはやっとね、真菜と莉子が愛してくれたお父さんらしく生きていけるようになったよって、2人の命は無駄にしないよって、(真菜と莉子に)伝えられるかなと思います」 事故を防いでいく活動を「加害者」と一緒に。もしそれが実現できたら社会の大きな財産になると話す松永さんの表情は、以前よりもあきらかに柔らかかった。