「僕を見て2千本を打った選手だと思いますか?」球界随一の守備力を誇った中日の二遊間、荒木雅博さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(23)
サインが出て動くのがあまり好きじゃなかったので、サインが出る前に、だいたい次はこれを投げるだろうというので、捕手が投手へ返球する時には次の所に移動しています。谷繁元信さんが、ほぼ一人でマスクをかぶられていたので、予測予測で。出だしの頃は守っている位置が違うと言われて「井端さん、どこですかね」と話を聞きながら、いろいろ迷惑をかけましたけど、一つずつ勉強していきました。最後はある程度のところに守れたのではないですか。 (定位置から)大きくは動かないです。右側なら右側に気持ちを持っていっていれば、それだけで広く動けるわけです。動いても1メートルですね。打者によって思い切り2、3メートル動いたことはあります。ピッチャーが良かったからですね、あの時は。守りもしっかり守れていたと思います。野球っていろんな作戦がありますけど、守り勝つというのを体現できた期間でした。 ▽ノーヒットノーランは、まだいい。エラーOKだから
落合監督から、自信を持ってやれば、もっといい選手になるのにと言われたことを覚えています。守備だけにかかわらず、毎日試合に行くのが嫌なぐらいのプレッシャーでした。やっぱり注目された中で、優勝争いをしている中で毎日結果を出さないといけない、ミスすることができないという中でやっていくのはしんどかったです。楽しくやりたいなって思っている時に、ヤクルトの宮本慎也さんが引退した際の「楽しんで野球をやったことは一度もない」という言葉を耳にしました。みんなそうやって野球をやっているんですね。 2007年の日本シリーズ第5戦で、最後の打球を捕ったのは僕ですけど、あの時だけは飛んでくるなと思いましたよね、真剣に。日本一を(継投の)完全試合でやっていますよね。飛んでくるなと思いながら、どうせ、こういうとき飛んでくるのって俺なんだよな、俺ってこういう人生だもんなと思ったら、やっぱり来たという感じでした。あの時ばっかりは、ここだけは勘弁してくれ、何でもいいから三振して、と思っていました。ノーヒットノーランなら、まだいいです。エラーOKなんで。完全で来られた時には、もうどうしようもない。ドキドキしましたね。他でドキドキは、現役を終わってみて、一つ挙げてくれと言われても出てきません。もう全部平たんですね。良いことも悪いことも。ドキドキしたことも普通にやったことも。特にこのプレーだとか、バッティングだとか、ないんですよね。初安打や2千安打とか、記憶としては残っているんですけども。涙が出てきたとか? ないですね。淡々と野球をやりすぎましたね。
× × × 荒木 雅博氏(あらき・まさひろ)熊本工高からドラフト1位で1996年に中日入団。堅守と俊足の二塁手で、2004年から6年連続でセ・リーグのゴールデングラブ賞。07年は盗塁王に輝き、チームの日本一にも貢献した。08年北京五輪出場。17年6月に通算2千安打を達成して名球会入り。18年に現役引退し、19年から中日コーチ。77年9月13日生まれの45歳。熊本県出身。